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第4話 よもぎ狂騒曲(2)
「参りました」
そう言ってクーティエは、よろよろと地面にしゃがみ込んだ。アプローチの石の上は硬かったのか、少しだけ頑張って移動して、芝の上で大の字になって寝転ぶ。
「大丈夫か?」
ぐるりと銀色の弧を描き、リュイセンが双刀を鞘に収める。ちん、という鍔鳴りの音に重なるように、クーティエがにこっと笑った。
「にぃ、ありがと」
想定外の素直な可愛らしさに、リュイセンはどきりとする。
「なんだよ、いきなり」
「本気で相手してくれるのは、にぃくらいだから」
「そうなのか?」
「うん」
普段、どこでどういった稽古をしているのか知らないが、年少の少女相手では、勝っても負けても角が立つ。しかもクーティエは、こう見えて社長令嬢だ。
いろいろあるのだろうと、リュイセンは推測する。
それにしても、今までだったらこんな殊勝なことは言わなかった。やはり少女の数ヶ月は、彼のそれとは異なる次元で流れるものらしい。
「それに、にぃなら『思いっきりやっちゃって大丈夫。殺すつもりでかかっていけ』って、母上が太鼓判を押してくれているもんね」
「……」
リュイセンは、なんとも言えない顔で溜め息をついた。その横顔を見て、クーティエがはくすりとした。
「にぃは強いよねぇ……」
薫風が芝を薙ぎ、寝転がったクーティエの前髪を逆立てていく。おでこを全開にされた彼女は、気持ちよさそうに瞳を閉じる。
「はぁ? いったいどうしたんだ?」
リュイセンはクーティエの隣に腰を下ろした。赤ん坊のころから知っている姪だが、久しぶりに会うたびに前とは少しずつ変わっていて、いつも彼女には翻弄される。
「でも、にぃって……」
そう言いながら、クーティエは目を開けた。意味ありげにリュイセンを見上げる。
「好きな人に想いも伝えられない、情けない男よね?」
「なっ……!?」
「鷹刀のお家、今、大変なんでしょ? こういうときこそ、にぃがしっかり支えてあげないと」
「ば、馬鹿言え! 俺は別に、ミンウェイのこと、そんなふうには思ってない!」
リュイセンがそう言った瞬間、クーティエの口の端がにやりと上がった。
「誰も、ミンウェイねぇだなんて、言ってないわよ?」
「……っ!」
「ま、バレバレだけどね」
クーティエが、ひょこっと上半身を起こす。顔を横に――リュイセンのほうへと勢いよく向けると、結った髪がくるんと反対方向に揺れた。
「私、小さいころ『にぃのお嫁さんになる』って言っていたの、撤回するね。私はもっと、頼りがいのある男が好き。――だから、にぃは自由よ?」
「お、おいっ!?」
何か、とんでもないことを言われたような気がするが、リュイセンは言い返す言葉を思いつけず、口をぱくぱくさせた。
そのとき、家の扉が開く音が聞こえた。そちらを見やれば、すらりと背の高い人影が中から出てくるところだった。
「あ、母上!」
クーティエがぱっと立ち上がり、嬉しそうに駆けていく。だがリュイセンは、反射的に顔が引きつった。
「クーティエ。また、リュイセンの息の根を止められなかったようだな」
低く笑う声が聞こえてくる。
「うん。やっぱり、にぃは強いわ。全然、歯が立たない」
「なんだ、私の娘のくせに情けない。ひと刺しくらいはできるかと思ったんだが……」
物騒な発言が聞こえてきて、リュイセンの背がぞくりとする。
……遠目に見る義姉の姿は、相変わらずだった。
ベリーショートに刈り上げられた髪、美しく引き締まった肉体は女性らしい豊満さを欠き、アルトと言うにはやや低い声が、ぞんざいな口調で放たれる。
初対面の相手なら、半分以上の確率で性別を間違えるだろう。だが、名前だけはシャンリーと女らしい。
彼女は、リュイセンと同じくチャオラウを師とする姉弟子であった。まだほんの小さな子供のときから、リュイセンは彼女から手加減なしの指導を受けている。体に刷り込まれた記憶は薄まることなく、いまだに彼女の声を聞くと身がすくむのだ。
「義姉上、お久しぶりです」
クーティエの後ろから重い足取りで歩いてきたリュイセンは、強張った笑みを浮かべながら頭を下げた。
「ああ、リュイセン、よく来てくれたな。……と、言いたいところだが、お前、大事なものを忘れてきたそうだな」
ぎろり、とシャンリーが睨む。
「は?」
「今、ミンウェイから連絡があった。お前、よもぎあんパンを忘れたそうだな。私もクーティエも楽しみにしていたというのに……! 」
またあんパンの話か、とリュイセンはげんなりする。
「俺は何も聞いてないぞ!」
「ほぉ。ならばミンウェイが悪いと? 他人のせいにするとは、我が義弟ながら、男の風上にも置けんな」
シャンリーは、にやりと目を細めると、腰の直刀を抜いた。
「成敗してくれるわ!」
「うわっ、待て!」
「問答無用!」
リュイセンに双刀を抜く間も与えず、シャンリーが直刀と共に疾る。それはまるで銀色の閃光――。
だがリュイセンは、今やチャオラウに次ぐ実力の持ち主だ。シャンリーの太刀筋を正確に読み……その場を一歩も動かなかった。
「にぃ!?」
悲鳴のような、クーティエの声。
リュイセンの肩までの髪が太刀風にあおられ、乱れる。
「……ほぅ。よく見抜いたな。昔のお前なら、下手に動いて串刺しだった」
やや感心したような、満足げな響きが、リュイセンの耳元で聞こえた。
シャンリーは、初めからリュイセンを狙ってなどいなかった。ちょっと、からかっただけである。
彼女は大きく腕を回し、流れるように刀を振るった。
ぐっと背を反らせたかと思うと、脚は天空へ、腕は大地へと伸ばす。それから、まるで天と地を繋ぐかのように、ひらりと宙に身を躍らせる。
剣舞の型のひとつをなぞっているだけだが、柔らかな動きにリュイセンは目を奪われる。幾度見ても、舞を披露するときだけは、この粗暴な義姉は誰よりも『美女』だった。
「武運を祈る舞だ。受けておけ」
愛刀に唇を寄せると、シャンリーは艶然と笑んだ。
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