第4話 よもぎ狂騒曲(4)

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第4話 よもぎ狂騒曲(4)

 メイシアは、車の後部座席で緊張に震えていた。  膝の上のよもぎあんパンは、まだほんのりと温かい。けれど、体中から熱が引いていくような気がしていた。  どうしてこんな事態になったのか、まだよく飲み込めていない。だが、どうやらイーレオが一枚噛んでいるらしいことは理解した。  運転手は、チャオラウだった。  いつもイーレオのそばに控えている護衛の彼が、何故かハンドルを握っていた。屋敷の専属運転手が忙しかったわけではないだろう。駐車場で、のんびり煙草を吸っている姿を見た。 「まったく、イーレオ様は幾つになっても、いたずら好きなんですから……」  バックミラーの中で、チャオラウが苦虫を噛み潰したような顔をしている。 「あのっ、これはつまり……、外に出られたご親族の方々にご挨拶をしてくるように――という、イーレオ様から私への指示……ですよね?」 「そういうことですな」  察しがよくてよろしい、とチャオラウが頷く。  メイシアが向かっている先は、リュイセンの兄の家だった。次期総帥エルファンの長男で、後継者として期待されていた人物――の住まいである。  リュイセンの兄は、幼馴染の女性と結婚する際に一族を抜けた。剣舞の名手である彼女を、表の世界で活躍させてやりたいとのことだった。 「イーレオ様が私に運転を命じられたのは、レイウェン様――リュイセン様の兄君と、そのご家族について、あなたに説明しておけとの含みでしょうな」 「……っ、すみません。お手数をおかけします」 「いやいや。ルイフォン様があなたに何も話してないだろうと踏んでの、イーレオ様の配慮ってやつですよ」  恐縮するメイシアに、チャオラウはからかいを含んだ声で不精髭を揺らした。 「何しろルイフォン様は、あの家の方々を……言いますか、ユイラン様のことを……。――あぁ、ユイラン様と言われてもピンと来ませんな?」 「いえ、お名前はルイフォンから伺っております。――エルファン様の奥様ですよね」 「おや、ご存知でしたか」  チャオラウは目を丸くした。 「――ええ、その通りですよ。ユイラン様はエルファン様の奥方で、レイウェン様とリュイセン様の母君です。今は、これから行くレイウェン様の家に一緒に住んでらっしゃいます」  そこまで言うと、彼は感慨深げに……というよりは、笑いをこらえているような、愉快そうな顔をする。 「ふぅむ。あのいい加減なルイフォン様が、メイシアにきちんと話していたとは……。大人になったものですなぁ……」 「あ、あの……?」  メイシアがきょとんと首をかしげると、さすがに言葉が足りないと思ったのだろう。チャオラウは、にやにやと不精髭を踊らせながら付け加えた。 「つまりですなぁ……、ルイフォン様は基本的に怠け者です。ご自分が興味を持たれたことには寝食を忘れますが、それ以外のことは一切やりたくない方です」  ルイフォンは怠け者なのではない。こだわる部分とこだわらない部分を、はっきりと区別しているだけだ。  ――と、反論しようとして、メイシアは思いとどまった。チャオラウが言っているのと、まったく同じことだと気づいたのだ。  彼女が心中でそんなことを考えていたとも知らず、チャオラウは楽しげに話を続ける。 「ですから、出ていった親族のことをわざわざ説明するなんて、そんな面倒ごとはルイフォン様の主義に反するんですよ」 「……」 「けど、あなたには知っていてほしかったんでしょうなぁ。……ユイラン様のお名前をご存知ということは、お聞きになったんでしょう? ルイフォン様の出生の経緯を。ぶっちゃけ醜聞ですな」  チャオラウの言い方は身も蓋もなかったが、メイシアは否定することもできず、遠慮がちに頷いた。  エルファンとユイランの婚姻は一族が決めたものだった。状況から考えて、『〈七つの大罪〉の最高傑作』の濃い血を残すための強制的なものだったのだろう。それでも長男レイウェンが生まれたころは、それなりの関係を保っていたらしい。  けれど、エルファンが、『助けを求めてきた〈天使〉』――すなわち、のちにルイフォンの母となるキリファと出逢い、娘が生まれた。  そのあとが泥沼だ。  正妻としての体面を保とうとでもするかのように、ユイランが次男リュイセンを産んだ。  怒ったキリファは、鷹刀一族を出ていこうとした。そこをイーレオに引き止められ、イーレオとの間にルイフォンが生まれたのである。  だからルイフォンから見れば、エルファンは異母兄で、リュイセンは年上の甥。――そして、エルファンの妻であるユイランは『義理の姉』になるわけだが、気持ちの上では『母キリファの敵対者』にしかならないだろう。 「今でこそ、ルイフォン様は一族の中心にいらっしゃいますが、四年前に母親を亡くされるまでは、別の場所でまったく違う生活をされていたんですよ」  それが〈ケル〉の家での生活ということだろう。 「まぁ、母親の手伝いで、たまには鷹刀の屋敷に来ていたんですけどね。ああ、そういえば、何故かリュイセン様とは、そのころから仲がよろしかったんですよねぇ」  チャオラウは懐かしむように言い、ルイフォンとリュイセンが子供のころの数々の逸話を――主にいたずらについて語ってくれた。  ――そして結局。  ルイフォンとは仲の悪い親戚がいる家に届け物をしに行くという、気の重い仕事を任された理由は謎のまま、メイシアを乗せた車は走っていくのであった。
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