第4話 よもぎ狂騒曲(5)

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第4話 よもぎ狂騒曲(5)

 チャオラウの運転する車は、洒落た門扉の前で滑らかに停車した。  緊張の面持ちで、メイシアが格子の門の隙間から見やれば、緩やかな勾配のアプローチが白く輝き、楚々とした雰囲気の家屋へと続いている。  落ち着いた石造りの塀で囲まれた敷地は、鷹刀一族の屋敷や貴族(シャトーア)の屋敷ほどには広くはなかったが、充分に豪邸といえた。それもそのはず、リュイセンの兄――この家の(あるじ)であるレイウェンは、飛ぶ鳥を落とす勢いの服飾会社の社長なのだ。  一族を抜けた彼は、剣舞の名手である妻を広告塔に会社を興した。機能的なファッションをコンセプトに新素材繊維を活用し、大成功を収めたのだ。現在では、平民(バイスア)を中心とした客層の既製服を展開しつつ、貴族(シャトーア)からの仕立ての注文もひっきりなしである。  そして、それまで培ってきた信用をもとに、主に足を洗った凶賊(ダリジィン)たちの受け皿を目的とした警備会社など、他にも幾つかの会社を手掛けているという――。  チャオラウが運転席から振り返り、メイシアに声を掛けた。 「あなたがよもぎあんパンをお届けに上がることは、ミンウェイ様から先方に連絡済みです。私はこのまま鷹刀の屋敷に戻りますので、お帰りはリュイセン様とご一緒して下さい」 「えっ……!?」  メイシアは驚いた。てっきりチャオラウも同行すると思っていたのだ。 「あのっ、チャオラウさんは?」 「この家の人間は、鷹刀とは縁を切った者たちです。私とは住む世界が違います」  彼は首を振り、きっぱりと言い切った。  ――と、そのとき。  どたん、と車の天井に衝撃を感じた。 「!?」  チャオラウの顔に緊張が走る。  車の上に何かが落ちてきたような感触だった。屋根を破壊するほどの威力はないが、決して軽い音ではない。  そのまま、ばたばたと頭上を動き回る気配がしたかと思ったら、束ねられた黒髪が二本、フロントガラスにひょっこりと垂れ下がってきた。  メイシアは、ぎょっとして身を引いた。けれど目をそらせない。すると、すぐに視界の中に可愛らしい顔が飛び込んできた。――ただし、逆さまの。  車の屋根に腹ばいになり、中を覗き込んでいるらしい。十歳くらいの、たいそうな美少女で、顔立ちから鷹刀一族の血を引いているのは明らかだった。 「ク、クーティエ!」  チャオラウが叫ぶ。  その驚きの表情に満足したかのように、逆さまの美少女がにっこりと笑った。コンコンと助手席側のドアガラスを叩き、窓を開けるように促す。  すっと下げられた窓から、爽やかな風が入ってきた。  そして――。 「はじめまして、メイシア大叔母上!」 「……!?」  メイシアは耳を疑った。この可憐な声は、今なんと言ったのか……?  戸惑いを隠せぬ彼女に、クーティエは茶目っ気を含んだ笑いを漏らす。 「ルイフォン大叔父上の奥さんでしょ? だから、私の大叔母上! ――私はクーティエ。レイウェンの娘よ」  クーティエの言葉の前半が衝撃的で、後半はまともに聞いていなかった。メイシアの顔は、さぁっと真っ赤に染まり、耳まで火照っている。 「あ、あの、私とルイフォンは……」 「違うの?」  逆さまのままのクーティエが首をかしげると、結った黒髪の片方がぴょこんと跳ね上がり、もう片方は逆に下がった。運転席のチャオラウが、微妙な顔で後部座席のメイシアを振り返り、やがて結局にやりとする。  メイシアは困惑した。  ルイフォンとの関係は、凄く曖昧なものだ。  しかし、少なくとも『大叔母』などという大層なものではない。それは絶対に違う。  ただ、彼のそばに居ることが自然で、それだけでよいのだ。  ――そこまで考えて、彼女は気づいた。  そんなに難しく考えることはない。単に自己紹介をすればいいのだ。――自分が何者であるかを。  メイシアは、花がほころぶように、ふわりと微笑んだ。  そして、鈴を振るような声を響かせる。 「はじめまして、クーティエ様。私は『メイシア』。今は鷹刀のお屋敷にお世話になっておりますが、何にも属さない自由なメイシア、です」  ルイフォンは、何にも属さない自由な〈(フェレース)〉であることを選んだ。ならば、彼と共にある彼女にも、自分を示す決まった言葉は必要ない――。  優雅に(こうべ)を垂れるメイシアに、クーティエは可愛らしい口をぽかんと開けたまま、動きを止めた。逆さまの重力に根負けした髪飾りが、ずるりと下がってくる。  チャオラウが「ほぅ」と感心したような息を漏らし、メイシアは、はっとする。これではまるで、クーティエの言葉をぴしゃりと跳ねのけたかのようではないか。 「す、すみませんっ。あの、私……」 「格好いい!」  メイシアの声を遮り、クーティエが叫んだ。  彼女は車の屋根からするりと降り、開いた窓から素早くロックを外して助手席に乗り込む。その勢いのまま、後部座席のメイシアにいざり寄った。 「メイシア! 私、あなたのこと気に入ったわ!」 「え?」 「私ね、『親の七光り』って、陰口叩かれるのが大嫌いなの。だから私も、これからメイシアみたいに『何にも属さない自由なクーティエ』って、ビシッと言い返してやることにするわ!」  瞳をきらきらさせ、手を握らんばかりのクーティエに、メイシアは狼狽する。何か勘違いから過大評価されてしまったような気がしてならない。 「あの……、クーティエ様……っ」 「クーティエ、って呼んで!」  元気よくそう言ってから、クーティエはもじもじとする。 「……ごめんね、メイシア。私、あなたのこと、ちょっとからかっていたの。リュイセンにぃよりも若い『大叔父』とか『大叔母』なんて、おっかしいなぁ、って思いながら言っていた」  上目遣いにメイシアを見る姿は叱られた子犬のようで、高く結ってあったであろう黒髪も心なしか下がっている。取れかけの花の髪飾りが、余計に哀れを誘っていた。 「にぃがね、『メイシアは見た目通りの(タマ)じゃない』って! ――何それ? って思ったけど、よく分かったわ」  そのとき、唐突にチャオラウが口を挟んだ。 「あなた方が打ち解けたようで何よりです。それではクーティエ、メイシアを案内してやりなさい」  言っていることはおかしくはない。しかし、どうにもチャオラウの様子がおかしい。そわそわしている。  そのわけを、クーティエは知っていたらしい。嬉しそうないたずらっ子の表情で、にやりと笑った。 「なんのために、私がわざわざ塀の上から車の屋根に飛び移ったと思っているの?」 「……バックミラーに姿を映さないようにするためだろう? 私に逃げられないように、とな」  チャオラウの返答に――正確には口調に、メイシアは違和感を覚えた。チャオラウにとってはクーティエは主君筋のはず。それが随分と、ぞんざいな言い方であると……。 「正解! 引き止めておけって、父上の命令よ!」 「そのレイウェン様が、こちらに近づいてくるのが見えたから、私は帰りたいんだ! お前たち、降りろ!」 「いやよ!」  クーティエが力強く言い返す。いったいどういうことなのか、メイシアは戸惑うばかりだ。  そうこうしているうちに門扉の開く音がして、ひとりの男が現れた。
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