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第5話 薄雲を透かした紗のような(4)
「兄上?」
「リュイセン。今、ミンウェイの様子はどうだ?」
「どう、って……?」
氷の息吹を吹きつけられたような錯覚を覚え、肌が粟立った。リュイセンは知れず、両腕を強く掻き抱く。
「この前、ミンウェイがこの家に来た」
「――何故だ?」
反射的に口走ってから、わざわざ尋ねるようなことではなかったと、リュイセンは思い返す。
ミンウェイは母や義姉と仲が良い。数えたことはないが、彼以上によく遊びに来ているはずだ。この家を訪問するのに、特別な理由など必要ないだろう。
けれど、兄の放つ冷気が、彼に『何故』と言わしめた。
戸惑う弟に気づいているのか、いないのか。レイウェンは淡々と言葉を続ける。
「ミンウェイは、なんでもいいから父親のことを――ヘイシャオ叔父上について知っていることを教えてほしいと、追いつめられた顔で母上に迫った」
リュイセンは一瞬、ぽかんとした。『ヘイシャオ』という名前に馴染みがなかったのだ。
「……ミンウェイの父親の『ヘイシャオ』って、〈蝿〉のことだよな?」
ミンウェイの父が〈悪魔〉であったことは、今までリュイセンだけが知らなかった。彼女が現れたころは彼がまだ小さかったから、というのが理由だが、情報屋であるルイフォンは知っていた。のけ者にされていたようで腹立たしい。
「ミンウェイは何故、母上に〈蝿〉のことを訊くんだ?」
リュイセンは、鼓動が高まるのを感じた。
強敵を前にしても怖気づくことのない彼が、これから発せられるであろう兄の言葉を本能で恐れた。
レイウェンは弟に静かな色の目を向け、ゆっくりと口を開く。
「ヘイシャオ叔父上は、母上の実の弟だ」
「なんだって!?」
「〈悪魔〉に関することは禁忌に近い。ヘイシャオ叔父上の話題も避けられていたから、君が知らなくても無理はないだろう。――でも、事実だよ」
「なんだよ、それ……」
リュイセンは拳を固く握り、テーブルを叩きつけた。
ばん、という大きな音が響き、飾り棚の硝子戸が激しくざわめく。
母の出自について、深く考えたことなどなかった。ただ単純に、直系の妻なのだから一族の血を濃く引く人間なのだろう、くらいにしか捉えていなかった。
けれどまさか、ミンウェイを苦しめた、あの憎き男とそんなに近い間柄だったとは……!
「リュイセン。かつての鷹刀は〈七つの大罪〉によって、濃い血を作り出すことを強いられていた。――私たちの両親が、従姉弟同士なのは知っているだろう?」
「そんなこと、知っている!」
「そして、『母上の弟』と『父上の妹』が、ミンウェイの両親で、こちらも従兄妹同士なんだよ」
「だから、それが、なんだって言うんだよ!?」
レイウェンを睨みつけるようにして、リュイセンはテーブルから目線を上げた。肩で揺れる髪が、ぞわりと憎悪に広がる。
「君は『濃い血』が、何を意味するか分かるかい?」
兄は感情の見えない目をして、じっと弟を見つめていた。
リュイセンのやり場のない怒りを、レイウェンは氷のような威圧感で封じ込める。
「……何を、言いたい?」
そう言葉を返すことすら、息苦しい。
「濃すぎる血は、生まれてくる子供が健康である確率を低くする。現に私たちには、生まれなかった兄弟、育たなかった兄弟が何人もいる」
「なっ……!?」
「そして、ミンウェイの母親も、生まれつき病弱だった」
気づかぬうちに、異世界に迷い込んだかのようで、兄の声はどこか遠く、現実味がない。
「ヘイシャオ叔父上は、心から彼女を愛していた。だから、彼女を治すために〈悪魔〉となった。文字通り、『悪魔』に魂を売った」
「……」
「母上によると、叔父上の研究テーマは『肉体の再生技術』だったそうだよ」
「あ……、ああ……」
その話には聞き覚えがある。捕虜となった〈蝿〉の〈影〉の発言として、ミンウェイが報告していた。
「……じゃあ、死んだはずの〈蝿〉が生き返っているってのは、『再生』したからだ、とでも言うのか?」
「それは分からない。……けれど、リュイセン。叔父上は哀しいくらいに壊れてしまっている」
「兄上は、あの男の肩を持つのか!?」
重要な話を聞いているはずだった。
ルイフォンが聞いたなら、吟味すべき情報であると目を輝かせたに違いなかった。
けれどリュイセンは、腹の奥から沸き立つ黒い感情に支配されていた。むしゃくしゃした。無性に苛立った。
「勿論、彼のしたことは私も許さないよ。だが、ただのひとつの事実として聞いてほしいことがある」
「なんだよ?」
噛み付くように言い返す。
「ミンウェイの母親の名前は『ミンウェイ』というんだ」
「な……!?」
「叔父上は生まれた娘に名前を与えず、愛する妻の代わりにしたんだ」
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