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第6話 かがり合わせの過去と未来(3)
黒曜石の瞳を見開き、メイシアはユイランを見つめる。
「〈蝿〉……」
かすれた声が漏れる。
ここで、その名を聞くとは思ってもいなかった。
「私のことが嫌いになってしまったかしら? それなら、それで構わないのよ。悪く思ったりはしないわ」
ユイランの声は、激しい耳鳴りに邪魔されて、途切れ途切れに届いた。メイシアは肩を丸め、ぎゅっと胸元のペンダントを握りしめる。
不意を衝れたような気持ちだった。
〈蝿〉に関しては、相手の出方を待つ形で保留となっていた。忘れかけていた不安が蘇り、目に見えぬざらついた手が心臓を鷲掴みにする。
「……」
――違う。
忘れてはいけなかったことだ。
今聞いたことは、とても大切な『情報』だ。ルイフォンなら目の色を変えたはずだ。
身内であるユイランは、〈蝿〉のことをよく知っている。もし、この場にルイフォンがいたなら、ユイランと母親との確執は横に置いて、冷静に〈蝿〉のことを聞き出すだろう。
だから、今は動揺している場合ではない。ユイランと話をするのだ。ルイフォンのように、ルイフォンの代わりに――。
メイシアはすっと目線を上げた。そして、花がほころぶように微笑む。
「メイシアさん……?」
「お気遣い、ありがとうございます。けれど、たとえご姉弟でも、あなたと〈蝿〉は別の人です」
心が落ち着いてくると、頭も回ってくる。
〈蝿〉は、イーレオが不当に総帥位を奪ったとして恨んでいる。それならば〈蝿〉の姉であるユイランにとっても、イーレオは憎しみの対象ではないのだろうか?
けれど、イーレオとユイランは信頼関係にあるように思える。そうでなければイーレオは、メイシアとユイランを引き合わせたりしない。
そう考えてメイシアは、はっとした。
「……ユイラン様のご用件のふたつ目。ひょっとして、イーレオ様からのご指示ですか? 私に〈蝿〉のことを話すように、という――」
「あら……」
ユイランは思わず声を漏らし、上品な仕草で口元に指先を当てた。目尻が下がり、優しい皺が寄る。
「敏い子だとは聞いていたけれど、本当ね」
肩をすくめ、けれど嬉しそうに「参ったわ」と首を振る。
「つくづく、あなたにはルイフォンと共に、鷹刀に残ってほしかったと思うわ。ルイフォンたら、キリファさんにそっくりで思い切りがいいんだから……」
「え?」
メイシアは違和感を覚えた。
ユイランと、ルイフォンの母親キリファは仲が悪かったのではないだろうか。それが、随分と親しげな物言いである。
「あなたへの用件のふたつ目は、だいたいあっているわ。正確には、過去の鷹刀のことをあなたに話してほしい、とのイーレオ様のご依頼よ。漠然と『過去のこと』と言われても、困ってしまうのだけどね」
そう言って、ユイランは机の上の書き物を示す。何を話せばよいのかまとめていたらしい。
「イーレオ様も、突然、現れたヘイシャオ――〈蝿〉については心を痛めてらっしゃるわ。だから、あなたを頼りたいのよ。そのためには、まず鷹刀という家について知ってもらいたい、ということね」
「何故、私などを頼りに……?」
「あら? あなたから『イーレオ様のお役に立つ権利がある』と言ったのでしょう?」
ユイランが、とても嬉しそうに声をはずませる。一族の力になろうとしてくれるメイシアを、純粋に喜んでいるらしい。
「!」
メイシアは、自分の行き過ぎた態度を思い出し、赤面した。
その発言は、少し前の月が綺麗な日に、イーレオとふたりきりで話したときのものだ。あの夜、イーレオから重大な事実をほのめかされたのだ……。
「そしてね、キリファさんの死と、死んだはずのヘイシャオが再び現れたことは、無関係ではないはずなのよ」
ユイランは強い目で、きっぱりと言い切った。メイシアは戸惑い、声を失う。
少しの間をおいて、ユイランは表情を和らげた。
「このことは、三つ目の用件と関わりがあるの」
「三つ目の用件?」
「ええ、私からあなたへの依頼。――届け物をしてほしいの」
よもぎあんパンに引き続き、またしても『届け物』とは……?
メイシアが小首をかしげると、ユイランは軽く口元をほころばせた。
「預かったときには、リュイセンにでも頼めばいいかと思っていたのだけど、今ならあなたにお願いするのが一番ふさわしいわ」
「……どんな、お届け物でしょうか?」
メイシアは、おずおずと尋ねる。
「四年前、キリファさんが亡くなる少し前に、彼女が私に預けた……ルイフォンへの手紙」
「え……?」
思いもよらぬ『届け物』だった。
亡くなったキリファが手紙を遺していた。しかも、不仲であったはずのユイランに託した……。
メイシアは、ごくりと唾を呑み込む。
「この手紙をルイフォンに渡すには、条件があったの」
「条件……ですか?」
胸騒ぎがした。そして、それはすぐに衝撃に変わる――。
「『女王の婚約が決まったら』――キリファさんはそう言ったのよ」
「――っ!」
「つまりキリファさんは、女王陛下のご婚約を契機に、何かが起こることを知っていたことになるわ」
女王の婚約が決まり、藤咲家が婚礼衣装担当家に選ばれた。
妬んだライバルの厳月家が斑目一族を雇い、藤咲家を窮地に陥れた。その裏で糸を引いていたのは――〈蝿〉……。
『発端は、女王だ』
『まだトップシークレットだが……。女王の結婚が決まった』
耳の中に、ルイフォンのテノールが蘇る。
あの日――。
メイシアが鷹刀一族の屋敷を訪れ、ルイフォンと出逢った運命の日。
調査報告として、彼はそう告げた。
すべては、『女王の婚約』から始まっていた……。
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