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第6話 かがり合わせの過去と未来(6)
――ふと、ユイランが表情を和らげた。
メイシアの顔をふわりと覗き込む。気遣いの眼差しだった。
ユイランは沈んだ空気を振り払うように、小さく首を左右に降る。胸元のドレープがさらさらと優しく流れた。
「そんな時代は、イーレオ様が総帥になることで終わったのよ」
そう言いながら書き付けに目を走らせ、何を見つけたのか、口元をほころばせる。
「メイシアさん。昔のエルファンは、ルイフォンそっくりだったのよ。信じられる?」
「えっ!?」
「私が直接ルイフォンに会ったことは数えるほどしかないから、人づてに聞いた感じだけどね。やんちゃなくせに策士で、自信家。――今のエルファンの冷酷なイメージは、イーレオ様が総帥に就かれたあと、『新しい鷹刀は、規律を重んじる組織だということを内外に示す』と彼が始めた演技よ」
メイシアが信じられない思いでユイランを見つめると、彼女の隣にぽかんと口を開けているシャンリーがいた。同じく初耳だったらしい。
「総帥のイーレオ様には、誰からも好かれるカリスマが必要。だから、ナンバーツーとなったエルファンは、自分が憎まれ役になるのだと言っていたわ。だいたい、凶賊が『父上』だなんて可笑しいわよ。それまで、普通に『親父』って言っていたのよ?」
「あの呼び方は、鷹刀の伝統だったわけではないんですか!?」
赤子のころから屋敷で育ったシャンリーが愕然としている。ユイランはくすりと笑い、「そうよ」とすまして答えた。
「でも、いつしかそれも様になってしまったわ。無邪気で無鉄砲だった少年はいなくなり、鷹刀を支える強い冷血漢が生まれた。私はレイウェンやシャンリーに囲まれて充実した生活を送っていたけれど、エルファンは孤独だった。――そんなとき、エルファンが〈七つの大罪〉から、キリファさんを救い出してきたのよ」
ユイランは、嬉しそうに書き付けの上の文字を指先でなぞった。
「警戒心の強い、野良猫のような子だったわ。エルファンのことが好きなのに、そう思われたくなくて噛み付いてばかりで。でも正妻の私には敵意丸出し。凄くまっすぐなの。もう、可愛くて可愛くて」
「ユイラン様。それは『可愛い』とは言わないと思うのですが……?」
シャンリーが、控えめながらもしっかりと突っ込む。
「あら、そう? 裏表がなくて素直でいいと思うわ」
切れ長の目を楽しげに輝かせ、それからユイランは瞼を下げた。白髪混じりの睫毛が綺麗に並ぶ。
「亡くなった最初の子が生きていれば、ちょうど同じくらいの歳だったのよ。娘みたいなものでしょう? でも『キリファちゃん』と呼んだら怒るし、可愛がるほどに不気味がられたわ」
ユイランが笑う。亡きキリファに向ける、その微笑みが……切ない。
胸が苦しくなり、メイシアはぎゅっとペンダントを握りしめた。
「ユイラン様は、本当にキリファさんのことが大好きだったんですね」
「そうよ。大好き」
ユイランは、得意げとしか言いようのない顔をした。
〈七つの大罪〉を恐れ、言われるがままに夫として迎えたエルファンに、ユイランはずっと罪悪感を抱いてきたのだろう。不憫だと思っていたのかもしれない。
だから、彼女はエルファンの幸福を喜んだ。幸福をもたらしたキリファに感謝した。
メイシアは、早くルイフォンに伝えたいと思った。――ユイランは怖い人でも嫌な人でもなく、キリファの『家族』であったと。
そう考えて、メイシアは疑問に瞳を瞬かせた。
「――なら、どうして、ユイラン様とキリファさんは不仲ということになっているんですか?」
「それは、私がリュイセンを産んだからよ」
涼やかに気高く、ユイランが答える。
綺麗に伸びた背筋で胸を張り、メイシアを正面から見据えた。メイシアは、小さく「え」と声を上げたまま、射抜かれたように動けなくなる。
「ユイラン様! その言い方は……!」
シャンリーが血相を変えて立ち上がり、ユイランの顔と――部屋の扉とを交互に見た。舌打ちのような音を漏らし、ベリーショートの髪を掻きむしる。
「シャンリー、落ち着いて」
そう言うユイランもまた、扉に目線を移した。否、初めからメイシアではなく、彼女はメイシアの後ろにある扉を見ていたのだった。
そして、ユイランは言葉を投げる。
「いい加減、立ち聞きも疲れたんじゃないの? ――リュイセン」
メイシアは、まるで自分の名前が呼ばれたかのように、びくりと肩を上げた。恐る恐る、後ろを振り返る。
扉はゆっくりと開き、黄金比の美貌が現れた。彼が威圧的に顎を上げると、癖のない黒髪が肩で揺れた。
「その話、俺にも聞く権利があると思うんですがね、母上?」
「だから、声を掛けてあげたんでしょう?」
久しぶりの母子の対面に、空気が冷たく揺らいだ。
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