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第6話 かがり合わせの過去と未来(7)
扉を隔てた向こう側の気配など、武に長けたリュイセンには手に取るように分かる。
それは反対側にいる母や義姉にとっても同じことで、すなわち彼らの間には扉など存在しないも同然だった。
『いい加減、立ち聞きも疲れたんじゃないの? ――リュイセン』
扉の向こうから、涼やかな声が届いた。
母の物言いに、リュイセンは眦を吊り上げた。ミンウェイとよく似た声質をしていることが、彼の神経を余計に逆撫でした。
母と義姉が並んで座っていたため、リュイセンは成り行きでメイシアの隣の席に着いた。
憐れなほどに気遣わしげな気配が漂ってくるので、「すまんな」と横目でメイシアに言う。すると、彼女は何か勘違いしたのか、はっと顔色を変えた。
「席を外します」
長い黒髪をなびかせて立ち上がる。慌てたせいで、彼女らしくもなくがたんと椅子を倒した。
「お前が出ていく必要はない」
「そうよ。私はもともと、メイシアさんとお話していたんだもの」
リュイセンが止めると、ユイランが同意する。発言内容に不服はないが癇に障る。彼は母を無言で睨めつけた。
けれど、そんな彼の反発心など、ユイランはまるで気にしていないようだった。おずおずと椅子を戻すメイシアを優しく見守っている。黒く染めず、そのままの明るい銀髪が、やたらと柔和な人物を装っているように感じた。――いつから、こんな髪の色だったのか、リュイセンは覚えていない。
「リュイセン。物々しく現れてくれたけど、私があなたを産んだのは、それが必要なことだったから、ってだけよ」
「必要だから――だと?」
リュイセンの全身から殺気がほとばしった。しかしユイランは、まったく動じることなく、彼に涼やかな目を向ける。
「ええ。私はキリファさんが大好きだったから、キリファさんの嫌がることはしたくなかったわ。けれど、正妻が子供を産むのは家のために必要なことなの。貴族だったメイシアさんなら、分かるんじゃないかしら?」
「えっ!?」
急に話を振られたメイシアが、戸惑いに小さく叫ぶ。ユイランを見つめて瞬きをし、ちらりと――申し訳なさそうに、リュイセンの様子を窺ってから「はい」と答えた。
ユイランはメイシアに軽く頷き返し、言葉を続ける。
「普通の平民だったら、『家のため』なんて仰々しいことは言わないわ。けど鷹刀は、多くの一族の者の命を預かる凶賊の総帥の家系よ」
分かっているでしょう? と母の目が圧力を掛けてきた。
いずれ、あとを継ぐのはあなたなのだから、自覚はあるわよね、と。
「……っ」
兄が家を出て、影に沈むはずだった次男のリュイセンが後継者となった。それは本来、晴れがましいことなのだろう。けれど、今の彼には重圧でしかない。
「あなたが生まれる数年前、イーレオ様に代替わりして少ししたころの鷹刀は、弱りきっていたの。――それまでの鷹刀は〈七つの大罪〉を後ろ盾に、傍若無人に振る舞っていたから、あらゆるところから恨みを買っていた。そして、総帥が変わっても鷹刀の看板を掲げてる以上、我々は『鷹刀』。前総帥への怨恨もイーレオ様がすべて引き継いでいたのよ」
諭すような、言い含めるような口調で、母が言う。その表情をなんと読み解いたらよいのだろうか。諦観というには淡々としすぎていて、まるで他人ごとのようだ。
リュイセンは無言のまま、視線で先を促す。
「鷹刀は、常に他所の凶賊の標的になった。小競り合いは日常茶飯事。――そして、ある日。当時の鷹刀の、もっとも弱いところを衝かれたわ。……それが何か、分かる?」
切れ長の目が問うてくる。
「知るか!」
もったいぶるユイランに、リュイセンは苛立ちを覚えた。机の下で握りしめた拳の中で、爪が皮膚に食い込む。
「レイウェンが襲われたのよ。生死の境をさまよったわ」
「……!?」
思わぬ答えに、リュイセンは戸惑う。
彼にとって兄は、羨望と嫉妬と憧憬、そして何よりも尊敬の対象であり、死ぬ目に遭わされるような弱い人間ではない。
「リュイセン、何か勘違いしていない? 昔の話よ。レイウェンはまだ幼い子供だったの。でも、彼が亡くなれば一族は遠からず滅びる、ってところだったわ」
「それはまた……ずいぶんと大げさですね」
話が飛躍している。彼が不快げに眉を寄せると、母は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「鷹刀は身内同士で殺し合ったから、血族なんてほとんど残っていなかったのよ。もともと子供が育たない家だもの」
ユイランの目が遠くを見て、揺らぐ。リュイセンは一瞬、母が泣いているように錯覚し、どきりとした。
「でも、祖父上には外にたくさん……」
「彼らは名目上の子供たちよ。イーレオ様の血縁ということにして、庇護しただけ。血族なら、顔を見ればひと目で分かるでしょう?」
「……!」
「イーレオ様が新しい総帥として一族にすんなりと受け入れられたのは、魔性の魅力で人を惹きつける『鷹刀』の容貌があったからよ。〈七つの大罪〉を切り捨てたのに、〈七つの大罪〉が作り出した薄皮に助けられるなんて、皮肉よね」
ユイランは、ふぅと重い息を吐いた。だがそれは、わざとらしくも見えて、肚が読めない。
「レイウェンを失いかけて気づいたのよ。できたばかりのイーレオ様の鷹刀には、盤石の土台が必要――血族を増やす必要がある、と」
背の高いリュイセンを、ユイランが睨め上げた。結い上げた髪から、銀糸が数本こぼれ落ちるのが見えた。
身長など、とうの昔に越した。丸みのある肩が華奢に感じる。
「必要だったから、私はリュイセンを産んだのよ」
リュイセンにとって、もはや母は、ひ弱な存在でしかなかった。――なのに、気圧された。
何かを言い返してやりたい。けれども、言葉が浮かばない。もどかしさに歯噛みして、せめてはと鋭く睨み返す。
視線だけが、交錯する。
無音の空間は、まるで時間が止まったかのようだった。息苦しくとも、引いてなるものかと、リュイセンは腹に力を入れる。
――その視界を、すっと何かが動いた。
「ユイラン様、よろしいでしょうか」
義姉シャンリーが首を真横に曲げ、直刀のようにまっすぐにユイランを捕らえていた。
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