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第6話 かがり合わせの過去と未来(8)
「どうして、わざわざリュイセンの神経を逆なでするような言い方をするんですか?」
「なんのことかしら?」
ユイランの澄ました顔に、シャンリーはむっと眉を寄せた。
「負い目ですか? リュイセンに嫌われることが、贖罪――のおつもりなんですか!?」
女性にしては低いシャンリーの声が、いつもよりも更に低く、唸るように震えている。
「ユイラン様は、セレイエやキリファさんを守ろうとしただけです。それが……結果として、そのあとに生まれてきたリュイセンの気持ちをないがしろにしていた、というだけです……!」
シャンリーは苦しげに吐き出し、力なく肩を落とした。
常に母の味方だとばかり思っていた義姉の思わぬ反論に、リュイセンはあっけにとられた。目を見開いたまま、ゆっくりと彼女の言葉を咀嚼する。
「セレイエ……? 誰だ……。いや、聞いたことが……」
「エルファン様とキリファさんの娘。お前の腹違いの姉だ。レイウェンと……それから私にとっても、初めての兄弟だった」
シャンリーはリュイセンにそう答えると、一度、ぐっと口を結んだ。それからユイランに向き直り、頭を下げる。
「黙するべきことは、わきまえます。ですから、私に発言の許可を願います」
「シャンリー……。分かったわ」
観念したようにユイランが目を伏せると、シャンリーはずいと身を乗り出した。
「リュイセン。レイウェンが襲われたとき、私もそばにいた。レイウェンと私と――セレイエの、子供たち三人だけで遊びに出ていたんだ」
『セレイエ』と口にしたとき、義姉の目が一瞬、懐かしむような色を見せた。
リュイセンも、忘れかけていた記憶を手繰り寄せる。
セレイエは〈ベロ〉のメンテナンスのときに、たまにキリファと一緒に屋敷に来ていた。母の子供ではないのに、母とよく似ているのが不思議だった。
初めて会ったときには、兄や義姉にあまりにも馴れ馴れしく話しかけるので、リュイセンは小さな嫉妬心すら覚えた。おとなしげな外見とは裏腹に、明るく好奇心旺盛で、茶目っ気のある女の子だった。
あるときなど義姉と一緒になって、昼寝中の兄の頭にリボンを付けるといういたずらを仕掛けた。片棒を担がされたリュイセンは、いつ目を覚ますかと気が気でなかったのであるが、セレイエと義姉は無邪気に大笑いしていた。――もっともこの件については、人の良い兄がすべてを承知の上で、狸寝入りをしてくれていたのだが……。
「殺されかけたのはレイウェンだけじゃない。セレイエもだ。セレイエだって、血族だからな。あのときのことは、今でも鮮明に覚えているよ……」
女丈夫の義姉の声が震えていた。
「確かに鷹刀は血族を増やす必要があった。けれど、それはユイラン様のお子でなくてもよかったんだよ。実際あの事件の直前まで、ユイラン様はキリファさんが弟妹を増やしてくれるのだと、嬉しそうにおっしゃっていた。――けど、セレイエが襲われたのを目の当たりにして、考えを変えられた。危険な凶賊の世界に、キリファさんやセレイエを置いてはいけないと思われたんだ」
シャンリーは言葉を切り、義母に問いかけの眼差しを投げた。これ以上は自分が言うべきことではないと、続きを任せてもよいかと、そう告げる。
ユイランは黙って頷いた。銀髪が揺れ、顔に影が入った。
「不幸な半生を送ってきたキリファさんには、穏やかな生活を送ってほしいと思ったのよ。だから『対等な協力者〈猫〉』であり、一族ではないと位置づけて、彼女とセレイエちゃんを外に出した。そして、リュイセンが生まれた。……いいえ、リュイセンだけが『生き残れた』のよ」
それ以外の兄弟は皆、育たなかった……。
ユイランが、じっとリュイセンを見つめる。揺るがぬ瞳から逃げるように、彼は机に視線を落とした。
――なんと言えば……どんな反応を返せばいいというのだろう?
その答えを出せず、母の顔を見ることができない。
……けれど、気配は感じる。読めてしまう。
「これで分かったでしょう? 私はただ、必要なことをしただけよ」
見なくても、リュイセンには分かる。
母は口元をほころばせている。いつもの涼やかな顔で笑っている。
「ユイラン様! だから、どうしてそんなに自分を悪者にしたがるんですか! リュイセンの存在は、レイウェンのためでもありました。セレイエと引き離されてしまった彼に、弟妹を……!」
「シャンリー。私を弁護しようとする気持ちは嬉しいけど、どう言い繕ったって、リュイセンの慰めになんかならないのよ。彼にしてみれば、自分の生は他人の思惑の上にある、ってだけだわ」
「だから、また、そんな言い方を!」
シャンリーは、机の上でぐっと拳を握りしめた。小刻みに震える振動が伝わってくる。彼女は、すっと視線を滑らせ、すがるような目をリュイセンに向けた。
「リュイセンも……、分かるだろ!? ユイラン様は口ではこんなだけど、でも……っ! ――何か言ってくれよ……」
母は、どこまでも我が道を行く。理解することも、されることも求めない。
決して相容れないと思う。
「俺は――……」
言い掛けても、言葉は続かない。
義姉は、今までのわだかまりが解けることを期待している。彼女の言いたいことは分かる。他人のことだったら、リュイセンだって、それが一番『丸く収まる』形だと理解できる。
だが――!
「…………っ」
リュイセンは、拳を握りしめた。
そのとき――。
「リュイセン様」
ふわりと、空気が動いた。
長い黒髪の作り出した風が彼の腕をかすめ、鈴を転がすような声が響く。
「メイシア……?」
横を向くと、黒曜石の瞳がじっとリュイセンを見上げていた。
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