第6話 かがり合わせの過去と未来(10)

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第6話 かがり合わせの過去と未来(10)

「さて――」  そう言ってユイランは、リュイセンの顔から机の上の書き付けへと目線を落とした。  白髪混じりの睫毛が、綺麗に弓形に並ぶ。その表情は柔らかく、そして清らかだった。しかし、彼女が再び顔を上げると、切れ長の瞳はすっかり鋭敏な輝きを取り戻している。  リュイセンは、ごくりと唾を呑んだ。隣ではメイシアが緊張の息遣いしている。ふたりは、そろって身を乗り出した。 「まず初めに、はっきりと言っておくわ。私の弟ヘイシャオと、現在、鷹刀の周りをうろついている〈(ムスカ)〉と名乗る者――このふたりは別人よ」  素朴で温かみのある生成りの部屋に、不釣り合いなほどに力強く涼やかな声が響いた。  あまりに単刀直入に言ってのけたユイランに、リュイセンは度肝を抜かれた。正体不明の焦りすら感じ、言葉が出ない。  ユイランの言葉に翻弄されているのはメイシアも同じようで、彼女もまた目を瞬かせ、おずおずと口を開いた。 「あの……、(おそ)れながら、先ほどユイラン様は『〈(ムスカ)〉は弟』だとおっしゃいました。別人というのならば、それは、その……おかしくはないでしょうか?」  当然の疑問を、ユイランが否定することはなかった。ただ、「これから説明するわ」と微笑む。 「数日前、ミンウェイが訪ねてきて訊いたの。『〈七つの大罪〉の技術なら、死んだ人も生き返りますか?』って。私は〈悪魔〉ではないから技術的なことは分からないけど、これだけは断言できると思ったわ」  そこで一度ユイランは声を止め、諭すようにゆっくりと先ほどの言葉を繰り返す。 「ヘイシャオと、彼にそっくりな男は『別人』ってね」  今まで積み重なっていた数々の謎を一刀両断に斬り捨てて、ユイランは彼女の結論に至っていた。  リュイセンは、思わず声を張り上げた。 「何故、そうなるんですか? 俺は先ほど、兄上から〈(ムスカ)〉は『肉体の生成技術』を研究していたと聞きました。それを教えてくれたのは母上だそうじゃないですか! ならば、〈(ムスカ)〉はその技術を使って蘇り、今度こそ鷹刀を我が物にしようとしている、と考えるのが自然でしょう!?」  知らず知らずのうちに、言葉に力が入っていた。  斑目一族の別荘からメイシアの父親を救出するとき、リュイセンは〈(ムスカ)〉の素顔を見ている。ルイフォンが〈(ムスカ)〉のサングラスを弾き飛ばしたのだ。  その顔は、どう見ても鷹刀一族の血を引く者の顔だった。 「リュイセン、誤解があるわ」 「誤解!?」 〈(ムスカ)〉を庇うようにも聞こえる口ぶりに、リュイセンは眉を吊り上げる。しかし、ユイランは静かに言う。 「あなたは、ヘイシャオが鷹刀を手に入れようとしている、と思っているようだけど、それはないの」 「何故ですか? 〈(ムスカ)〉は祖父上を恨んでいたはずだ! 奴は自分こそが正当な後継者だと……」 「違うのよ」  息巻くリュイセンをユイランが途中で遮った。言い返そうとする彼の機先を制し、彼女は「大前提が違うの」と言い放つ。 「ヘイシャオは、総帥位なんてまったく興味がなかったの。だから、鷹刀を手に入れるために蘇るなんてことはあり得ないのよ」  ひと言ごとに否定され、リュイセンは憎しみすら含んだ視線をユイランに向ける。低い声で、唸るように言葉を紡ぐ。 「……けど、あれは本人でしょう!」  リュイセンは次の句をためらった。しかし、ぐっと腹に力を入れた。 「あれは、ミンウェイを虐待した男だ。そんなの……ミンウェイを見ていれば分かる!」  ミンウェイを脅かす存在が、野放しにされている。その現状が歯がゆくてならない……。  黄金比の美貌が、苦痛に歪んだ。うつむいて肩を震わせるリュイセンの耳に、ユイランの深い息が届く。 「ヘイシャオの虐待については、私には何を言う資格もないわ。ミンウェイを亡くしたヘイシャオがどうなるか、姉としてもっと心を配っておくべきだった。私は……、――あ、ごめんなさい。名前が混乱しているわね」  メイシアの戸惑いの顔に気づき、ユイランは言葉を止めた。わけの分からないことを言う母の助け舟は気乗りしないが、話を円滑に進めるためにリュイセンは口を添える。 「兄上から聞きましたよ。ミンウェイの母親の名前も『ミンウェイ』だったと。〈(ムスカ)〉は生まれた娘に名前を与えず、妻の代わりにした、とね」  メイシアが「そんな……」と小さく声を漏らした。リュイセンも同意するように、不快げに鼻を鳴らす。 「順を追って話しましょう」  一同を見渡し、ユイランは厳かに言った。
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