第6話 かがり合わせの過去と未来(11)

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第6話 かがり合わせの過去と未来(11)

「ヘイシャオは、婚約者のミンウェイを何よりも大切にしていたの」  ユイランの第一声は、〈悪魔〉の過去には似つかわしくないような、優しいものだった。 「勿論、〈七つの大罪〉が勝手に決めた相手よ。だからヘイシャオは初め、彼女に無関心だった。けれど、純真なミンウェイは疑うことなく彼を慕ってきたのよ」  かつての悪虐な鷹刀一族の中で、どうしてそんな夢見る少女が育ったのだろう。リュイセンのそんな疑問に答えるように、ユイランの言葉が続く。 「ミンウェイは生まれつき病弱だったの。できることが限られていた彼女は、自分は役立たずな人間だと思っていた。だから、ヘイシャオに尽くすことに生きる価値を見出していたのよ」  濃い血を重ね合わせた一族で、成人できるのは半数以下。その運命の足枷は彼女をがっちりと捕らえていた。 「きっかけなんて、どうでもいいのよ。ミンウェイはまっすぐに彼を想った。鬱陶しがっていたヘイシャオも、いつの間にか本気で彼女に応えていた。見ているほうが恥ずかしいくらいに微笑ましくて、そして羨ましかったわ」  ユイランが目を伏せた。白髪混じりの睫毛の影が、静かに顔に落ちる。 「けれどミンウェイの体は、成長するにつれ確実に弱っていった。だから、ミンウェイを生きながらえさせる方法を求めて、ヘイシャオは〈悪魔〉となったのよ」  隣でメイシアが体を震わせた。  リュイセンは、胸の中に不快なざわつきを覚える。 〈七つの大罪〉は怪しげな組織だ。胡散臭い。リュイセンなら絶対に関わらない。  けれど、そのときの〈(ムスカ)〉の行動は理解できるのだ。――それが、病弱な婚約者のために、必要なことだから……。  自分の心の中に生まれた〈(ムスカ)〉への同情に気づき、リュイセンは(おのれ)を叱咤する。 「……その後、イーレオ様が総帥位に就き、鷹刀は〈七つの大罪〉と縁を切ったわ。ヘイシャオは、ミンウェイの治療法を探すために〈悪魔〉として生きることを選び、彼女を連れて鷹刀を去った。彼にとってはミンウェイが第一で、総帥位なんて本当にどうでもよかったのよ」  ユイランは肩を落とし、呟くように言う。 「ヘイシャオたちが出ていくとき、私はそれでいいのだと信じていたわ。……病弱なミンウェイが長く生きられないことも、ひとり残されるヘイシャオがどうなってしまうのかも、考えてあげることができなかった」  その結果、娘への虐待へと繋がった。  ユイランの後悔が、こめかみに深い皺となって表れる。それを覆い隠そうとするかのように、うつむいたはずみに銀の前髪が掛かった。  リュイセンは、腹の中で渦巻く不可解な感情に押し流されないように、奥歯を噛んだ。  母は、過去を美化しているのだ。どんな事情があれ、〈(ムスカ)〉がミンウェイにしたことは変わらない。奴は、卑劣な外道である。奴は、非道な男でなくてはならないのだ――ミンウェイのために。 「ここまでが、私が直接知っている弟のヘイシャオよ。そして、彼が次に現れたのが十数年前……」  リュイセンは、はっとした。弾かれたように叫びだす。 「そのとき、〈(ムスカ)〉は祖父上を狙っているじゃないですか! 奴は総帥位なんてどうでもいいんじゃないんですか? これはどう説明するんですか!?」  リュイセンが顎をしゃくる。黒髪が肩をかすめ、後ろで鋭く怒りに舞った。 「あれはね……。死に場所を求めてきたのだと思うわ」 「わけが分かりません!」  言い返す彼に、ユイランは口調を変えることなく落ち着いた言葉を重ねる。 「ヘイシャオは、娘のミンウェイを連れて『エルファンのところに』来たのよ。『イーレオ様に復讐する』と口では言いながら、イーレオ様ではなく仲の良かったエルファンのところに現れたの」 「え……?」 「ヘイシャオは妻のミンウェイが亡くなったことを告げ、自分の亡骸を彼女のそばに埋めてほしいと、そして娘を頼むと……エルファンに託したのよ」 「……」 「もし娘のミンウェイがいなければ、ヘイシャオは妻のミンウェイが亡くなったときに、あとを追ったはずよ。それが何故、十数年前のタイミングで娘を鷹刀に託し、妻のあとを追うことにしたのかは分からない。――けど、自ら死を求めたのなら、彼がこの世に戻る理由はないわ」  メイシアが息を呑み、顔色を変えた。叫びを抑えるかのように口元に手をやる。(さと)い彼女は、ユイランの言葉の裏の意味に気づいたのだ。黒曜石の瞳が、不安に揺らめく。  けれど、リュイセンの(たか)ぶった気持ちは、収まりが効かなかった。 「ですが! あの〈(ムスカ)〉は、どう考えても本人で……!」  食って掛かる彼を、ユイランは冷静に遮る。 「勿論、ヘイシャオとは無関係だなんて言わないわよ。あなたの推測通り、〈七つの大罪〉には死者を生き返らせる技術があるのでしょう」 「母上、言っていることがちぐはぐです!」 「――気づかないの?」 「何に気づけと?」  謎掛けめいた言葉に苛つき、リュイセンは声を荒立てる。  察しの悪い息子に、ユイランは不満げに大げさな溜め息をついた。 「私は昔を懐かしむために、死んだ弟と義妹の話をしたわけじゃないわ。感傷に浸りたいだけなら、こんな後悔は息子なんかに話さないの」  見下した物言いに、かちんとくる。けれど、有無を言わせぬ強い口調に、リュイセンは言い返すことができなかった。――その裏側に、悲しみの色を見てしまったから。  唇を噛むリュイセンをユイランはじっと見つめ、ふっと表情を緩めた。 「さっき、あなたは自分で言ったでしょう? 過去を知ることで現在を読み解き、未来に繋げる、と」 「あ、ああ……」 「つまりね、過去のヘイシャオの行動を考えれば、『彼が、自分の意思で生き返ることはない』と断言できるの。すなわち――」  切れ長の目が、研ぎ澄まされたような鋭い輝きを放った。美麗な声が静かな怒りをはらみ、部屋中に響き渡る。 「ヘイシャオの最期の思いを無視して、彼を生き返らせた『第三者』がいる」  窓も開けていないのに、冷たい風がすっと通り抜けたようだった。
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