第7話 幾重もの祝福(3)

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第7話 幾重もの祝福(3)

 彼女が腕の中に居るだけで、安心できる。  抱きしめているのに、抱きしめられている。  彼は、彼女の首筋に顔をうずめた。鼻先をくすぐる彼女の後れ毛が、むずがゆいのに心地よい。触れ合った肌の熱さから、狼狽する彼女の鼓動が伝わってくる。  純白のドレスをまとったメイシアを胸に、ルイフォンは徐々に落ち着きを取り戻していった。  ――そういうことか……。  心の中で呟いて、ルイフォンは口元をほころばせる。  まんまと乗せられたのだ。  誰がどう噛んでいるのかは不明だが、サプライズで彼に彼女の花嫁姿を見せよう、という計略だったのだろう。 「メイシア」  彼は少しだけ体を離し、彼女の美しさを瞳に映す。 「綺麗だ」  彼女の顔に掛かるベールを払いのけ、彼は吸い寄せられるように口づける。  途端、彼女の顔が真っ赤になった。むき出しの肩や首筋までもが、透き通るような白から鮮やかな色に染め上げられていく。  階下から、「きゃあっ」と嬉しそうな黄色い声が上がった。家に戻ってきていたクーティエである。  気づけば、ルイフォンを案内してきたシャンリーは勿論、レイウェン、リュイセン、チャオラウもいる。――リュイセンが、げんなりとした顔をしていたのは……仕方ない。  ルイフォンは、ぐっと自分の胸元にメイシアを引き寄せた。と同時に、豪奢なドレスもろともに彼女の膝裏に手を入れる。  メイシアの体が、ふわりと浮き上がった。  幾重にも連なったスカートのフリルが大きく波打つ。急に抱き上げられたメイシアは、小さな悲鳴と共に、細い腕をルイフォンの首に回した。  彼がゆっくりと階段を降り始めると、長い長い裾の先が、かしずくように、しずしずと階段を流れる……。 「うわぁ……」  夢見る乙女の顔をして、クーティエが頬を染めた。シャンリーが口の端を上げ、感心したように「やるな」と呟いた。  一階に降り立ったルイフォンは、メイシアを抱き上げたまま、そこにいた皆に深々と頭を下げる。彼の行動の意味が分からないクーティエが「え?」と声を上げ、続いて自分の非礼を思い出して青ざめた。 「ごめんなさい! 私、ルイフォンに早くメイシアを見せたくて……!」 「分かっている」  顔を上げたルイフォンは、猫のような目を細めにやりと笑った。 「そりゃあ、お前からの電話には心底、焦った。けど、俺もお前を怖がらせたからな。お相子(あいこ)だ。――それよりさ、これは俺とメイシアへの祝福だろ? 感謝する」  そう言うと、彼はくるりと体を反転させ、メイシアをそっと床に降ろした。  何かを言いかけた彼女を遮り、ルイフォンは階段を見上げて呼びかける。 「ユイラン」  声に応え、階段の上に銀髪(グレイヘア)の女性が現れた。すらりとした綺麗な背筋で、顔立ちはミンウェイをそのまま歳を取らせたかのよう。  ルイフォンはまっすぐにユイランを見つめ、抜けるような青空の笑顔をこぼした。 「詳しいことはあとで伺います。ともかく、礼を言わせてください。――ありがとうございました」  ルイフォンは、ユイランに向けて丁寧に腰を折る。隣でメイシアも、ぴたりと息を合わせて頭を下げた。 「ふたりとも、顔を上げて。私は頼まれた仕事をしているだけよ。困るわ」  慌てたように、ユイランが階段を駆け下りてくる。 「私は、藤咲ハオリュウ氏にメイシアさんの婚礼衣装を依頼されたのよ。洋装でも、我が国の伝統衣装でも、メイシアさんの好きなものをと頼まれて、試しにサンプルを着てもらっただけなの」  ユイランは困惑顔で眉を寄せ、上品に首を振った。その仕草に異を唱えるかのように、メイシアの上体が前に出て「ユイラン様」と片手を伸ばした。 「ルイフォン、ユイラン様は……」  彼を振り返ったメイシアの瞳は、さまざまな思いであふれていた。口に出して伝えたいのに、うまく言葉にできない。そんなもどかしさが、にじみ出ている。 「分かっているよ、メイシア」  ルイフォンは、にっと口の端を上げた。ベールがなければ、彼女の前髪をくしゃりとやったところだ。 「――というかさ、思い出したんだよ。……確かに、母さんはユイランが苦手だった。けど、あの口の悪い母さんが、ユイランのことは決して、けなさなかったんだ」  彼は、すっと視線を前へ移す。母親そっくりの猫のような眼差しが、しっかりとユイランを捕らえた。  顔くらいは知っていたが、これまで対面で向き合ったことはなかった。ルイフォンは今、初めて正面からユイランという人物を見て、そして理解したのだ。 「つまり、母さんはユイランを認めていた、ってことだ。……たぶん、気に入っていたと思う」 「……え」  ユイランの口から、かすれた声が漏れた。切れ長の瞳から、ひと筋の涙が流れ出て、慌ててハンカチで押さえる。 「やだわ、何を言っているのよ。――ともかく私は、メイシアさんの異母弟さんに頼まれたのよ」  崩れた顔をハンカチで隠しながら、ユイランは語調を強めた。 「お父様の喪が明けるころ、桜の季節に。鷹刀の屋敷のあの桜の下で、ふたりの結婚式を挙げたい。そのための衣装をお願いします、とね」
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