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第8話 星霜のことづけ(2)
「なっ……!」
全神経を研ぎ澄まし、書類の文字を食い入るように見つめる。
二枚目、三枚目とめくり、一枚目の内容が読み間違いではないことを確認していく。
「ルイフォン?」
メイシアの心配する声にも、彼は満足に答えを返すことができなかった。前後不覚に陥りそうな驚愕の中で、手の中の書類を取り落とさなかったのは、ただの幸運だ。
「嘘だろ……?」
「おい、何が書いてあるんだ!?」
焦れたリュイセンが、責め立てるように尋ねる。
「〈スー〉だと……」
ルイフォンが呟くように漏らした言葉に、聞き覚えのあったメイシアが顔色を変えた。それに気づいたリュイセンが「何か知っているのか?」と問いかける。
彼女は小さく頷く。尋常ではない様子のルイフォンを見つめ、気遣うように黒曜石の瞳を揺らめかせると、遠慮がちに口を開いた。
「ルイフォンのお母様は、鷹刀のために三台のコンピュータを作ったそうです。名前は、『地獄の番犬』から取って〈ケル〉〈ベロ〉〈スー〉。けれど、〈スー〉はまだ開発中だったはずです」
抑えられた声は、ルイフォンを差し置いての発言は気が引ける、とでも考えているからだろう。けれど凛とした響きは、動揺している彼を守るかのようだった。
随分と前に言ったことなのに、彼女はきちんと覚えていた。
メイシアにしてみれば、リュイセンの質問に答えただけなのかもしれない。だが、平静さを失っている彼に代わり、彼女は落ち着き払った態度を見せる。――そっと腕を広げて、彼を支えてくれる。
ルイフォンは、自分の額をぴしゃりと叩くようにしながら前髪を掻き上げた。そして、その手をメイシアの頭に伸ばし、艷やかな黒髪をくしゃりと撫でる。
彼は口の端を上げ、にっと笑った。
「メイシア、その件だけど、〈ベロ〉を調べていて進展があったんだ。――実はな、俺たちの知っていた〈ベロ〉は張りぼてだった」
いつもの調子を取り戻したルイフォンは、最新の調査結果を口にした。
きょとんとする一同に、唐突すぎたか、と彼は反省する。「なんて言えば分かりやすいかな」と頭を掻きながら言葉を探す。
「皆も知っての通り、〈ベロ〉は鷹刀の屋敷を管理しているコンピュータだ。で、母さん亡きあと、俺が最高権限を持っている――はずだったんだが、実は俺より上の権限を持つ奴がいた」
「執務室でいきなり話しかけてきた、あの人工知能か?」
リュイセンの問いに、ルイフォンは首肯した。
「あいつは、自分は〈ベロ〉だと名乗った。だから俺は、〈ベロ〉の中に人工知能のプログラムが入っているのだと思って探していた。でも、違ったんだ」
あの人工知能はあまりにも高度すぎて、現存のコンピュータ上で動かすのは不可能だ。
けれど、〈七つの大罪〉の技術なら?
既存の概念とはまったく異なる、画期的なコンピュータが存在するとしたら、あの人工知能を搭載できるのではないか。
そう考えたら、自ずと答えは導かれた。
「〈ベロ〉と呼ばれるコンピュータは、二台あったんだ。ひとつは、皆が知っている〈ベロ〉。もうひとつは〈七つの大罪〉の技術で作った機体に、母さんの作った人工知能を載せた、真の〈ベロ〉。おそらくは、とんでもない性能を持った真の〈ベロ〉の隠れ蓑として、皆が知る普通のコンピュータの〈ベロ〉は作られたんだ。だから『張りぼて』ってわけだ」
「なんだ、それ? 二台あるなら、『ある』って、見て分かるだろ?」
リュイセンが、わけが分からん、という顔をする。基礎知識がないのだから当然だろう。
「あのさ、お前、〈ベロ〉が何処にあると思っている?」
「お前の仕事部屋だろ?」
「――って、思っているよな」
「違うのか?」
むっとしたように瞳を尖らせるリュイセンに、悪いなと思いつつ、こちらの期待通りの答えを返してくれる兄貴分にルイフォンは感謝する。
「違う。〈ベロ〉は小さな家一軒分くらいの床面積を持っている。専用の冷却装置が必要で、騒音が凄い。そんなもの、俺の仕事部屋に置けるわけがない。――〈ベロ〉の本体は地下だ。仕事部屋から遠隔操作している」
排熱の一部をミンウェイの温室に利用しているものの、ひたすら無駄に放出される熱量。近くで会話ができないどころか、ずっとそばにいたら気分が悪くなるレベルの騒音と振動。とてもじゃないが、同居したいとは思わない。
「そうなんだ……?」
狐につままれたような顔は、何もリュイセンだけではない。成り行きで話を聞いているような、レイウェンの一家も同様である。
「真の〈ベロ〉が何処でどんな形で存在しているのか、俺は知らない。でも奴は、張りぼての〈ベロ〉の目や耳で情報を収集して、常に鷹刀を見守っているんだ」
「おい、お前も見たことがないなら、結局のところ、それは推測だろ?」
半信半疑のリュイセンが疑問を口にする。それもまた、ルイフォン望んだ通りの展開だった。
「いや――」
そう言いながら、ルイフォンは手の中にある書類を示した。
「確かに、ほんの数分前までは仮説だった。けど、この『手紙』が証明してくれた」
「え……?」
書類をめくり、文字と数字と記号の羅列を皆に見せる。母の書いた文字は読み取れなくても、普通の文章ではないことは分かるはずだ。
「これは、母さんの作ったコンピュータ〈ケルベロス〉の解説と、『人工知能〈スー〉のプログラム』だそうだ。ここに書いてあることを、一文字も間違わずに〈ベロ〉に打ち込めば、〈ベロ〉が〈スー〉を起動させるらしい」
皆に説明しても理解してもらえないだけだから言わないが、母が遺したのはルイフォンが見たこともないコンピュータ言語で書かれた命令列だった。
要するに、これを読んで〈七つの大罪〉の技術を学べということだろう。これだけの資料で随分と無茶を言ってくれるが、如何にも母のやりそうなことだ。
途方もない難題――けれど、未知の技術に心が躍る。純粋に興味深い。彼がそう思うことを、母は見越していた。
「で? 〈スー〉って奴が出てきたら、何が起こるんだ?」
この『手紙』に、知的好奇心がくすぐられるわけではないリュイセンが、自分に分かる結論を求めて尋ねる。
「さぁ? 〈ベロ〉はあの性格だから何も語らないし、〈ケル〉は一緒に住んでいたけど無口で喋ったことがない。けど、〈スー〉なら教えてくれる、ってことじゃないのか?」
母が無意味なことをするとは思えない。とんでもないものを三台も作ったからには、目的があるはずだ。それもきっと、〈スー〉が明らかにしてくれるのだろう。
ルイフォンは、猫のような目を不敵に光らせた。
これは母からの挑戦状。彼ならできると信じて贈った、最初で最後の『手紙』。
深刻な表情で、けれど黙って見守るように聞いていたメイシアを、ルイフォンは見やる。そして『俺を信じろ』と言うように、彼女と――それから母に、青空の笑顔を見せた。
レイウェンの家を辞去する際、ユイランがルイフォンに尋ねた。
「セレイエちゃんは、どうしているのかしら?」
「セレイエ?」
久しく聞いていなかった異父姉――彼女はルイフォンの異母兄エルファンの娘でもあるので、同時に『姪』でもある――の名に、ルイフォンは首を傾げた。
「キリファさんが亡くなるよりも前に、独立して家を出たと聞いているけど、今は何処にいるの?」
「ああ――」
ルイフォンは、ほんの少しだけ、ばつの悪い顔をする。目を泳がせながら、ぼそりと答えた。
「俺も詳しくは知らないけど、母さんがちらっと言っていたところによると、どこかの貴族と駆け落ちしたらしい。消息不明だ」
「はぁ!?」
声を張り上げたのは、ユイランではなくリュイセンだった。
「お前ら、姉弟して、同じことをしているんじゃないか!」
「お前にそう言われると思ったから、言いたくなかったんだ。それに俺は駆け落ちしてないだろ!」
そばでおろおろしながら顔を赤らめているメイシアを抱き寄せ、ルイフォンは言い返す。
そんな彼らのやり取りにユイランは目を細め、けれど急に口元を引き締めた。
「ルイフォン、セレイエちゃんを探しなさい。彼女なら何かを知っているかもしれないわ」
毅然としたユイランの口調に、何故かシャンリーが顔色を変えた。彼女が顔を歪ませながらうつむくと、夫であるレイウェンがそっと肩を抱く。その彼もまた、妻と同じ顔をしていた――。
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