幕間 大気の絆(1)

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幕間 大気の絆(1)

「シャンリー、今日はお疲れ様」  風呂上がりの髪を適当に拭きながら居間に入ると、レイウェンが手招きをしてきた。待っていたよ、と言わんばかりの笑顔を浮かべる。  ラフな夜着姿でも、彼の魅力は損なわれない。むしろ、飾らない素朴さこそが彼を引き立てる。我が娘クーティエが『父上以上の男はいない』と言い切るのも無理はない。――まぁ、そんな可愛らしい発言は、じきに撤回されるだろうけれど。  私がソファーに座ると、彼はふたつのグラスにボトルを傾けた。ありがたく受け取り、どちらからともなく軽く(ふち)を合わせる。  澄んだ音が響いた。  レイウェンが、穏やかに口元を緩める。生まれたときから隣にいるような私でも、どきりとしてしまう魅惑の微笑だ。 「ご機嫌だな、レイウェン」 「そりゃあね。シャンリーもだろう?」 「ああ、勿論だ」  ――ユイラン様とリュイセンが和解した。  正確には、あれを和解とは言わないのかも知れないけれど、確実にふたりの関係は変わったはずだ。  私がグラスを空ければ、彼がまた次を注いでくれる。その彼も、既に二杯目だ。  つまみはチーズとサラミ、ナッツ類、そして更によもぎあんパンまで、豊富に用意してある。今日は心ゆくまで呑もう、ということだろう。 「そういえば、母上が鷹刀の屋敷を出た、本当の理由をリュイセンに教えたんだって?」 「げほっ」  思わず私が咳き込むと、レイウェンが優しく背中をさすってくれた。  彼の目は、決して責めたりはしていない。けれど、この件は大人たちの間で秘密にしておく約束だった。 「すまん!」  申し開きは性に合わない。私はテーブルに額をこすりつける。 「気にすることはないよ。君が言わなければ、いずれ俺が言っていただろうからね」  相変わらずの柔らかな口調だが、レイウェンの一人称が『私』から昔の『俺』に戻っている。  彼は、天井に憂いの目を向けた。二階にいらっしゃるユイラン様を見ているのだ。 「母上は『偽悪者』だからね。でも、それは周りも本人も不幸にするだけだ」 「そうだな。ユイラン様の優しさは誤解されやすいからな……」  私の脳裏に当時のことが蘇った――。  鷹刀を抜けたあと、レイウェンと私は何を生業にして生きていくか。  幸い、私の舞い手のしての知名度はそこそこあったから、それを活かすべきだった。そして私たちは、ユイラン様への恩返しも兼ねて、服飾会社を興すことを思いついた。それまでの生活から考えれば突拍子もなく感じられるだろうが、私の剣舞の衣装はユイラン様とレイウェンの技術の結晶なのである。  ユイラン様は、凶賊(ダリジィン)の家に生まれていなければ、間違いなく服飾の道に進んだような方だった。可愛らしいものが大好きで、特に女の子の服や小物を作るのが好き。実の子が息子だけで、娘も同然の私がこの通りなのは本当に心苦しかった。  けれどユイラン様は、私に少女らしさを強要することはなかった。それどころか、鍛えまくった結果として、やたらと太く成長した私の腕や腿を無理なく動かせる服を作ってくださった。もしユイラン様がいらっしゃらなければ、私は一日中道着で過ごす羽目になっていたことだろう。  そしてレイウェンもまた、私の衣装に一役買っている。舞には、どうしても衣服に負担のかかる激しい動きが入る。ユイラン様のデザインで、ある程度の余裕は確保できるのだが、美しく見せるためには、衣装に緩みをもたせすぎるわけにはいかない。体にフィットしている必要がある。  だから彼は「君を束縛する生地のほうがいけないんだよ」と伸びのよい新素材繊維を作ってしまった。鬼神のように強い彼だけど、本当は研究者肌なのだ。  そんなわけで私たちは、機能的なファッションをコンセプトに、少し変わった服飾会社を立ち上げた。独立するのにユイラン様のデザインに頼るのはおかしな気もしたが、そこはきっちり『雇用』という形をとることで許してもらった。ユイラン様は嬉しそうに笑ってらしたから、たぶん間違った判断ではなかったろう。  私たちは当然、ふたりきりで鷹刀を出るつもりだった。ユイラン様には屋敷から通っていただこうと思っていた。
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