幕間 三眠蚕の貴公子(3)

1/1
前へ
/56ページ
次へ

幕間 三眠蚕の貴公子(3)

「申し訳ございません、藤咲様」 「いえ、ご丁寧なお断りのお手紙をいただいているのに、私のほうが無理を申し上げているのです」  ……それは、とても奇妙な光景だった。  父上とハオリュウは、挨拶も早々に頭を下げ合っていた。どうやら、手紙やら電話やらで、既に何度もやり取りをしていたらしい。  母上は、祖母上を呼びに行っている。祖母上は雇われデザイナーということになっているので、取り引きのお客さんが来る場には基本的に顔を出さない。でも、ハオリュウが是非、会いたいと言ったのだ。  私はといえば、何故かハオリュウに乞われて、この応接室にいる。  彼は小振りのスーツケースを持ってきていて、杖をつきながら運ぶのは大変そうだったから、私が手伝った。そして、そのまま一緒にいることになったのである。  ちなみに、あの目付きの悪い運転手は(うち)に入るつもりはないらしくて、車で待っている。 「実に見事なものですね」  部屋の奥の壁を見上げ、ハオリュウは溜め息をついた。彼の視線の先にある藍色の衣装は、母上が女王陛下の即位式で舞ったときのものだ。 「こうして間近で拝見いたしますと、ますますユイランさんの腕が欲しくなりました」 「……藤咲様。お話は大変ありがたいのですが、私どもでは、あなたのご期待にお応えできるとは、とても思えません」  楽しげなハオリュウに、いつも穏やかな父上が渋面を作る。ふたりがなんの話をしているのか、私にはまったく見えてこない。  ハオリュウが何かを依頼した。けど、父上は断った――ってのは、分かる。  でも、貴族(シャトーア)の、しかも『鷹刀』と縁のあるハオリュウの頼みを断るなんて、おかしい。  私はたぶん、不満顔をしていたんだと思う。ふと私のほうを見たハオリュウが「ああ、すみません」と軽く頭を下げた。 「あなたに同席をお願いしておきながら、説明もなしというのは失礼でしたね」  急に顔を覗き込んできたハオリュウに私はびっくりして、反射的に激しく首を横に振った。左右に結い上げた髪がぺちぺちとほっぺに当たって、ちょっと間抜けだったと思う。……恥ずかしい。 「我が藤咲家が、女王陛下の婚礼衣装担当家であることはご存知でしょうか?」 「あ、うん」  声が上ずる。『はい』と言うべきなのに、私の口はすっかり礼儀作法を忘れていた。 「陛下の婚礼衣装のデザインをユイランさんに、縫製などの作業全般をあなたのお父様の会社に依頼しようと思っています」 「……え? えぇっ!?」  思わず、大声が出てしまった。  だって、女王陛下の衣装、しかも婚礼衣装なんていったら、我が国で最高の衣装ってことだ。  それを、草薙(うち)が作る!?  凄い、凄い、凄い! 信じられない! 夢みたい! 「クーティエ」  父上の低く魅惑的な声が割り込んだ。決して荒らげたりしてないけど、いつもの穏やかな甘さがない。  怒っているわけじゃないけど、その一歩手前――。  私が押し黙ったのを確認すると、父上は険しい顔をハオリュウに向けた。 「藤咲様、何ごとにも、分相応というものがございます。うちは設立十年程度の新参者。しかも、凶賊(ダリジィン)上がりです。いったい、何故、私どもを?」 「私が、あなたに価値を見出したからですよ」  ハオリュウは、さも当然とばかりに、まったく説明になっていない答えを返してきた。 「確かに、私の領地には、長い歴史を持つ老舗の仕立て屋が数多くあります。古い、古い……悪い因習に捕らわれた者たちがね」  彼の瞳に、闇が広がる。ハスキーボイスが、魔性の響きをまとった。 「無意味なしきたりに(のっと)り、価値なきものに金品をばらまく。そんなくだらない習慣のために、あなたを諦めるのは愚かなことです」  ぞくっとした。  改めて、感じる。彼は違う世界で生きる人なんだ。  私の心臓が、ちくりと痛む……。 「レイウェンさん」  ハオリュウは、妙に明るい声で父上に呼び掛けた。 「さっき、クーティエさんに教えていただいたんですよ」  私!?  いきなり名前を出されて私はうろたえ、父上が眉を寄せる。 「クーティエが、何を……?」 「偉ぶった子供はよくない、と」  あ――!  勢いで言っちゃったあれを、ハオリュウは真に受けている!? 「藤咲様! 娘がとんだ、ご無礼を!」  父上が平身低頭しながら、横目で私を睨んだ。私も弁解しようと、慌てて「ハオリュ……」と呼びかけ、はっと口元を押さえる。  ハオリュウは貴族(シャトーア)だ。気軽に名前で呼んでいい人じゃない。 「おふたりとも、どうか落ち着いてください」  身振り手振りでなだめるようにして、ハオリュウが柔らかに言う。 「クーティエさんは、私に必要なことを言ってくださったんです。――私は藤咲家の当主として、あなたに認められようと虚勢を張ってきた。でも、そんな大人ぶった子供は、可愛げがないだけだったんですよ」  ざらついたハスキーボイスが、自嘲するようにかすれている。けれど彼は、語気を強めた。 「私は――いいえ、『僕』は、もっとあなたに自分をさらけ出すべきでした。あなたの信頼を得たいなら、ありのままの自分を示し、『藤咲家の当主』ではなく『僕自身』を見てもらう必要がありました」  そして、ハオリュウは…………。  ――無邪気に、『嗤った』。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加