第2話 猫の系譜(2)

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第2話 猫の系譜(2)

「まぁ、怒るなリュイセン」  イーレオが穏やかな微笑を浮かべ……、しかしその声はどこか冷たかった。 「お前の心意気は称賛すべきものだ。だが、死んだはずの〈(ムスカ)〉――ヘイシャオについては、詳しいことは分からずじまいだ。身動きがとれない。情報が少なすぎる」 「ですが……」 「〈影〉に関しては、敵が馬鹿じゃなければ、もはや無効だということに気づいたはずだ」  イーレオは、分かるか? と目で問うた。けれど、リュイセンは不満顔で首を振る。 「結果的にだが、俺たちは〈影〉をすべて殺した。さぞ無慈悲な集団に見えたことだろう。――俺たちに情がないのなら、〈影〉を使うメリットはない。記憶と肉体がちぐはぐな〈影〉は、すぐに見破られ、殺されるだけだからだな」 「祖父上、それはただの希望的観測です! それに、ミンウェイが……」 「俺に動揺しろと?」  リュイセンの言葉を遮るように、眼鏡の奥から有無を言わせぬ眼光が放たれた。酷薄にすら見える角度に口を上げ、リュイセンの動きを封じる。ただのひと睨みだけで、イーレオは完全にリュイセンを支配した。 「俺には一族を守る義務がある」  リュイセンは息も出せない。ただ冷や汗だけが額に浮き立つ。 「俺が動揺すれば、皆も動揺する。古い奴らは〈七つの大罪〉という言葉に敏感だ。皆を不安にしてはならない」  ルイフォンは、はっとした。  執務室に鍵を掛け、窓まで閉めたのは、屋敷の者たちにこちらの声を聞かせないようにするためだ。  イーレオは、総帥として〈(ムスカ)〉に対してはとりあえず保留。要するに放置、という結論を出していた。父の性格からして、おそらく本意ではないだろう。だが、対処のしようがないのは事実だ。  そして、その方針を伝えたときの反発は目に見えていた。故に、部屋を閉ざした。  彼は、改めて父の秀でた額を見やった。 「俺にできることは、余裕の顔をして偉そうにふんぞり返っていることだけだ。――どうせ〈七つの大罪〉か、〈七つの大罪〉絡みの人間が関わっているのは分かっている。今はそれで充分だろう?」  イーレオはソファーに背を預け、長い足を優雅に組む。王者の顔で睥睨し、魅惑の声を響かせる。 「勿論、警戒はするさ。けれど、こちらから動くのは無理だ。……それから、ミンウェイ」 「は、はいっ!」  不意に声を掛けられたミンウェイが、上ずった声を出した。 「〈(ムスカ)〉を名乗る輩が何をしようと、お前が負い目に感じてはならない。何故なら、お前は俺のものであり、お前に関するすべてのことは、全部、俺の権利かつ責任だからだ」  不遜なまでの命令調で、イーレオは口角を上げる。細身の眼鏡の奥から、涼やかな瞳がミンウェイを捕らえていた。  彼女がびくりと肩を上げると、豪奢な髪が波を打つ。空気が揺れ、ふわりと草の香が抜けた。 「お前は俺の大事な一族だ。絶対に、それを忘れるな」 「お祖父様……」  柳眉を下げて呟くが、その先の言葉は続かない。  広く暖かな海のように、不可侵の帝王が一族を深く包み込む。それが現在の鷹刀一族であり、〈七つの大罪〉を否定したイーレオが目指したものだった。  話がひと段落したとみて、ルイフォンはおもむろに口を開いた。 「親父、質問なんだけど」  今日こそは〈七つの大罪〉に関する、何か新しい情報が語られるのではないか――そう考えていた彼にとって、この話の流れは期待外れだった。故に、自分から切り出すことにしたのだ。 「俺は斑目の別荘で、〈(ムスカ)〉と〈天使〉のホンシュアの口論を聞いた。ホンシュアは『あなた自身が脳内介入できるようなふりをして、厚かましい』と言っていた。つまり、記憶に関与する手段を持っているのは、〈(ムスカ)〉じゃなくて〈天使〉だ。違うか?」 「そうだ」  ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。もしや、とは思っていたが、やはり父は〈天使〉について知っていた。  ずっと気になっていたことの答えを目前に感じ、彼の心臓が激しく高鳴り始める。 「〈天使〉とは、〈七つの大罪〉の人体実験によって、人間の脳内に介入する能力を身につけさせられた者。彼女たちは、もとは普通の人間である。――この解釈はあっているか?」  ルイフォンの隣で、メイシアが顔色を変えた。白磁の肌が、更に白く青ざめる。  彼女には、彼の考えを既に言ってあった。 「あっているが……どうした?」  声色に不穏を感じたのだろう。イーレオが、わずかに狼狽する。 「……」  ルイフォンは一度だけ、ためらった。  だがすぐにイーレオに向かい、軽く顎を上げた。  そして、喉元に喰らいつくように、視線で斬りつけた。 「親父、正直に答えてほしい。――母さんは〈天使〉だったんだろう?」  幾つもの息を呑む音が重なり合い、多重奏が響き渡った――。
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