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第2話 猫の系譜(4)
「……母さんが働いていたのは、斑目の傘下の娼館だった」
メイシアが、きょとんとした。てっきり鷹刀一族の系列の店だと思ったのだろう。
敵対する凶賊のところから、どうやって母は鷹刀一族に来たのか。それは、これから話すのだ。
「その店は、シャオリエのところみたいな高級娼館じゃない。場末も場末、客が娼婦を嬲り殺しても、金さえ払えば、店主は笑って『また、どうぞ』と言うような店だった」
身を震わせるメイシアを、ルイフォンは強く抱きしめる。
「あるとき、母さんは身請けされた。相手は〈蠍〉という名前を与えられた〈七つの大罪〉の〈悪魔〉だった」
鷹刀一族が〈七つの大罪〉と手を切ったあとの話だ。
〈七つの大罪〉が、次の取り引き相手として斑目一族が選んだことから、その傘下の娼館に〈悪魔〉が出入りしていた、というわけなのだろう。
――身請けの際、逃げられないように片足首を斬り落とされたことは、メイシアにあえて言う必要はない。
「〈蠍〉は凄腕のクラッカーだった。母さんは奴から技術を学び、奴の片腕となった。やがて奴を出し抜けるほどの実力をつけて、密かに鷹刀と連絡を取った。〈七つの大罪〉を敵視している鷹刀なら、助けてくれるだろう、って」
当時の鷹刀一族のコンピュータセキュリティはお粗末なもので、母は簡単に侵入に成功し、自分の状況と要求を一方的に突きつけたのだという。そして、助けてくれたら見返りとして、ザルだらけのそのシステムを作り変えてやると、かなり高圧的に言ったらしい。
「こうして母さんは鷹刀にやってきた。――俺は、そう聞かされてきた。けど、ずっと違和感があったんだ」
険しい声を出すルイフォンに、メイシアが不思議そうに小首をかしげた。
「おかしいところはないと思うのだけど……?」
「ええと、な。母さんは、なんというか……、いちいち偉そうだったんだ」
「え?」
困惑をあらわにした、鈴を振るような声。
頭の中で母の高圧的な声色を思い出していたルイフォンは、耳から清められていくような気分になる。
「こう……ひとことごとに、鼻で笑うような喋り方で。――自信過剰で、自分が一番だと思っている、というか……」
メイシアの目が、じっとルイフォンを見つめた。
口に出さなくても、彼女の思っていることはしっかり顔に出ていた。
ルイフォンとそっくりに思えるのだけど……――と。
彼は苦笑して、言葉を続ける。
「根拠なき自信、というわけじゃない。実際、母さんは凄かった。何しろ、〈七つの大罪〉から〈猫〉という名前まで貰っている。母さんは、自分は〈悪魔〉ではないと言っていたけれど、組織内でかなりの権力を持っていたと思う」
「うん……」
どう反応したらいいのか分からないのだろう。メイシアが曖昧に頷く。
「でもさ。それって、おかしくないか? 母さんは身請けされた、もと娼婦だ。相手の男がたまたま〈七つの大罪〉の〈悪魔〉だったというだけで、母さんの立場はあくまでもその男の情婦。〈七つの大罪〉とは関係ないはずだ。なのに、どうして母さんは、あんなに偉そうだったんだ?」
「それは、お母様が〈蠍〉の片腕として活躍なさったからでしょう?」
「そうだな。そのことに間違いはないだろう。……けどさ。じゃあ〈蠍〉って何を研究していた〈悪魔〉なんだ? ただのクラッカーが〈七つの大罪〉の〈悪魔〉を名乗っていたのか? ――俺にはそう思えない」
言いながら、ルイフォンは歯噛みする。
『ただのクラッカー』――それは自虐の言葉だ。自分というクラッカーを軽んじている。
けれど、悔しいが〈七つの大罪〉の技術は、彼の遠く及ばぬところにある。その証拠が母の作った人工知能〈ベロ〉だ。人間と変わらぬ、柔軟な思考を持ったそれは、彼には到底、作れない代物だった。
「〈蠍〉は何か、とてつもない研究をしていたはずなんだ。……そして、そんな高度な研究の補佐に、無学なもと娼婦を使うか? 母さんは文字の読み書きすらできなかったんだぞ? そこから教えて、使い物になるように育てるか!? あり得ないだろう!」
「ルイフォン……」
「母さんは、自分は『特別』だったと言っていた。――〈蠍〉は、次から次へと娼婦を身請けしていたらしい。だから俺は、そのたくさんの情婦たちの中で、片腕となるほどの才覚があったから、母さんは特別扱いされたんだと思っていた」
ルイフォンは、メイシアを見つめる。彼女には、あまり残酷なことは言いたくない。わずかに、ためらう。……けれど、言わざるを得なかった。
「じゃあ、〈蠍〉は、何故そんなに、たくさんの女たちが必要だった? そして、『特別』でなかった女たちはどうなった?」
ルイフォンの雰囲気を察し、メイシアが顔色を変える。
彼はごくりと唾を呑み、そして告げた。
「人体実験だ。――〈蠍〉は、身請けした女たちを人体実験に使っていたんだ」
それが、ルイフォンの出した結論だった。
「ほとんどの女たちは、命を落としたんだろう。だから、次々に補充されたんだ。そんな中で、母さんは『特別』な成功例。優遇され、教育も施された。――そして、〈蠍〉の研究は、おそらくは〈天使〉……」
メイシアの瞳が一度だけ瞬き、見開いたまま固まった。
「母さんは、異常な暑がりだった。俺が仕事部屋の室温を低く保つのは機械類のためだが、もとはと言えば母さんの習慣を引き継いだだけだ」
「……」
「母さんが〈天使〉なら、〈七つの大罪〉で権力を持っていてもおかしくないだろ?」
母にとって、〈七つの大罪〉は決して恐れるものではなかった。彼女自身がそう言っていたのだから、間違いない。――そのことも、〈天使〉なら納得できる。〈天使〉は他人を支配する能力を有するのだから。
無論、これは推測であって、事実とは限らない。
けれど、胸の中がもやもやしてたまらない。足元の地面が、がらがらと崩れていくような感覚がする。
――そして、母が〈天使〉だったとしたら、それが現状とどう繋がるのか。関係があるのか、ないのか。……おそらく、あるはずだ。そんな気がする。
推測に推測を重ねても、真実に近づくとは限らない。けれど彼は、考えずにはいられない。
「……ルイフォン」
鈴の音の声と共に、ふわりと頬が温かくなった。
「え?」
驚いて目を丸くする。――ルイフォンの顔を、メイシアの両手が優しく包み込んでいた。
彼女の皮膚の感触が、彼の頬の筋肉を柔らかにほぐす。知らずに繰り返していた歯ぎしりが、頬骨と顎を酷使していたことに初めて気づいた。
「……メイシア?」
「話してくれてありがとう」
「ああ……いや。俺が言いたかっただけだ」
ひとりで抱えていたくなかったから――。
今までだったら、誰にも言わなかったのかもしれない。けれど、今はメイシアがそばに居る。
「イーレオ様に、聞いてみるの?」
「あ……」
言われて初めて気がついた。
あの父だったら知っているのかもしれない。
彼は漠然と、母は正体を隠していたと思い込んでいた。羽の生えた母の姿など、見たことがなかったからだ。
だから、〈ケル〉や〈ベロ〉や、母が生前、使っていた部屋などを調べるつもりでいた。
「ああ、そうか。親父は〈七つの大罪〉を知っているんだもんな」
そう考えれば、母が本当に〈天使〉なのであれば、正体を明かしているほうが自然だろう。
盲点だった。
こんな近くに、情報が落ちている可能性に気づけなかった。
「やっぱり、俺のそばにはお前が必要だな」
「え?」
首をかしげる彼女に、彼は「ありがとな」と微笑む。
「親父に聞いてみよう」
「うん」
いつ聞くのか、どう切り出すのか。メイシアは、そんなことは尋ねない。ただ、『うん』とだけ。
――そのときは、そばに居るから。
だから、あとはルイフォンの思う通りに。
言葉に出さなくとも、彼を守る戦乙女の声が聞こえていた。
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