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「すみません、考えがまとまらなくて」 「ごめんごめん、急かしてるわけじゃなくてね。ちょっと思い出したことがあって」  返事が遅いとイライラしたわけではないのに誤解させてしまった。そうそう、俺って苛つくと相当怖いらしいね。元が悪人顔だからかな? こないだの若い所長さんのときも伊玖さんだいぶビビってたもんね。伊玖さんを、ってか誰のことも怖がらせるつもりはないんだけどさ。 「あー、センシティブなお仕事ですもんね」  伊玖さんめっちゃフォローしてくれるじゃん。やっぱり伊玖さんのほうがよっぽど優しいよ。 「まあどんな仕事もそれなりにセンシティブだろうけどさ。あ、答えたくなかったらスルーしてね、ごめんね変なこと聞いて」  このまま聞かずにいたい。言い出したのは自分なのに。  だが伊玖は頬に当てていた手を離して口を開いた。 「奪ってでも育てる。そう、前に断言しました」  それだ。高倉夫妻に養育能力がないのなら自分が代わると、伊玖は以前話していた。だから鶴本も伊玖を気にしたのだろう。養育能力がないとわかったが、どう動くのかと。あとから知られて厄介なことにならないように。 「……ですが、正直今は、自信がありません」 「自信?」  あんなに自信満々に語っていたのに。  問い返せば、伊玖は目を伏せた。 「はい。あれからもう何か月も経って、莉奈ちゃんも梨沙ちゃんに慣れたでしょうし」  慣れたのかは疑問だ。きっと怒鳴り声ばかり聞いていただろう。両親の口論ばかり。伊玖の耳ざわりの良い穏やかな声とは違う。  ただそれは律哉の主観で、莉奈ちゃんがどう感じていたかを知る術はもたない。それは伊玖も同じだ。だから「たぶん」「きっと」と推測に推測を重ねることになる。そんなの良い結果にたどり着くわけがないのに。 「それに何より、僕は狭隘な人間なので。莉奈ちゃんがいるのに仕事も続けて、その……律哉さんと付き合い続けるのは、難しいです」  そう来ると思った。行きたくない未来のほう。律哉のせいで莉奈ちゃんが弾かれる未来。  それが伊玖の選択だと言えばそれまでだが、なんというか……。 (あ、そっか。俺って莉奈ちゃんを躊躇いなく世話した伊玖さんに惚れたんだ)  ずっとわからなかった「伊玖を好きになった理由」を知った。こんな形で知りたくなかった。こんな――勝手に伊玖に失望する形で。 「そっか。まあ難しいよね、男二人で子育てって。世間的にも」  ほっとする一方で悲しくなる。だから答えがどっちでも知りたくなかったのに。 (躊躇いなく人を助けられるあなたが、好きだったよ)  今は他にも好きなところがあって、だから別れようとは思わないが、それでも自分を顧みず莉奈ちゃんに手を差し伸べた伊玖に惹かれたのは確かだった。伊玖にはもう捨てられないものができて、それが自分だというのは嬉しいのに、あのときの伊玖はもういないことが悲しくなった。 (あー、聞くんじゃなかった)  どのみち複雑な気分になるとは予想していたのに。伊玖が「引き取りたい」と言う低い確率を潰すために心を削ってしまった。 (鶴本さん、だそうですよ。もういいですよね?)  美徳を投げ売って、鶴本にも恨みごとを言いたくなった。
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