1980年代  夏

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1980年代  夏

 僕は錆びの浮いた自転車をひたすら漕いでいた。  ブレーキをかけると、耳をつんざくような音が響いて、僕はなるべくブレーキをかけたくなかった。だから、横断歩道に差し掛かり、青信号が点滅しだすと、ペダルを踏み込んで全速力で通過しようと試みる。危ないことはわかっていた。だけど、ブレーキをかけた瞬間、嫌な音が響き、周りの人間が不愉快そうに僕を見る。その視線に耐えるくらいなら、赤信号でも事故らない程度に自転車を漕ぐつもりだ。  今日、ホームルームが終わった後、教室を出ようとしたら、担任に呼び止められた。 「柏崎、おまえの母さん、万引きで捕まったらしいぞ」  担任は天気の話でもするように言った。  僕は肩にカバンをかけていたが、机にカバンを置いた。 「万引き?」 「そう。つまりドロボー。スーパーの総菜売り場で総菜を服の中に隠し入れたらしい」  担任はそう言うと、肩をすくめて続けた。 「柏崎に迎えに来てほしいそうだ。まったく、本来なら逆だろう。どうなってるんだか...」  担任は嫌味を吐き捨てるように言うと、僕の肩に手を乗せ、不安なら先生もついて行こうか?と助言したが、僕は首を横に振った。  僕は猛スピードで自転車を漕いでいる。万引きをした母親を迎えに行く息子を精一杯演じている。  母親には余罪があった。コソ泥のようなことをやって、パート先を首になることなど、しばしばだ。  今では近所でも、母親の盗癖は評判で、次第に近所の人たちが僕らを遠ざけるようになった。  父親は僕が中学生の時に外に女を作って出ていってしまった。毎夜飲み歩いて、酔っぱらって午前様で帰って来る父親を、僕は軽蔑していた。  母親も早く父親と別れてしまえばいいのにと、何度思ったことだろう。  だが、母親は父親と一向に別れる気がなかった。父親がいないと不憫に思ったのだろう。昔は片親というだけで、子どもまで悪い子だというレッテルを貼られてしまうのだ。
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