第61話・外科入院は近所の飯屋の匂いに打ちのめされる

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第61話・外科入院は近所の飯屋の匂いに打ちのめされる

 医療スタッフが去るとシドはハイファを患者用の薄いガウンに着替えさせ、寝かしつけておいて上体をそっと抱き締める。白い額に、唇にソフトキスを落とした。 「バカ野郎、怪我なんかしやがって。俺はこのジャケットだぞ」 「だって完全にヘッドショット狙いだったんだもん」 「だよな。すまん、俺の代わりに……」 「ううん、貴方の指示を無視したのは僕なんだし、本当にごめんね。あ、ふ――」  小さく欠伸を洩らしたハイファは痛覚ブロックテープの麻酔作用か酷く眠たげだった。毛布を被せてやり、上からもう一度抱き締めてやってからシドは身を起こした。 「お前が寝たら少し留守にするからな」 「ん、分かってる。いいよ、もう行ってきても」 「いや、お前が眠るまでここにいるからさ。手ぇ握っててやるか?」 「うん、ありがと」 「礼を言われるようなことじゃねぇよ。俺がそうしたいんだ」  素直に目を瞑ったハイファはすぐに寝息を立て始める。暫く白い寝顔を眺めてからシドは行動開始した。まずはBELに戻って狙撃機材やショルダーバッグを下ろし、三〇五号室に運び込む。バッグから服を出し、窮屈なタキシードを脱いで普段着に着替えた。  ホッとして病室を出るとオートドアのロックを確認する。次にナースステーションに向かって二人部屋のベッドの片方を借りる交渉をする。有料だが首尾よく食事付きで借りられることになり、外出することを告げて屋上のBELに戻った。  最初にオートパイロットで向かったのは惑星警察ドレッタ南署である。ここではシドも若宮志度巡査部長を名乗り機動捜査課の深夜番にお目通りを願った。  捜査共助依頼書も持たない他星系の同輩にも地元署員は非常に親切だった。快くポラのモンタージュシステムを貸してくれた上に熱いコーヒーまで振る舞ってくれる。 「いやあ、遠く本星からご苦労さんですなあ」  などと言ってもてなしてくれた老年の警部補は大層ヒマらしく、シドは世間話の相手を務めながらコーヒーを飲み、煙草を吸いつつポラの作成をするという器用な技を披露した。  作った合成ポラは勿論スコープ越しに見た敵二人の顔である。エーベル=シュミットはともかくミハイル=トムスキーは一瞬しか見えなかったが、刑事の目に焼き付けた顔は鮮明だ。  出来上がったポラを別室に送って手配させると何処も同じ泥水並みのコーヒーを妙に懐かしく思いながら、三杯目はさすがに遠慮して礼を言い地元署をあとにする。  次に宿まで飛んでチェックアウトし、タキシードを作った店で借りたマネキンの代金を支払った。マネキンが撃たれて壊れたことはライリー団長から聞いて知っている。  店はとっくにクローズしていたが、リモータチェッカに怒鳴ると眠たげな顔をした店主が出てきてクレジットを受け取ってくれた。  あとはレンタルしたBELの処遇だったが、少し迷った末に一旦返却することに決める。何かあれば第八駐屯地からBELを回して貰えばいいのだ。  尤も敵は狙撃銃を失った上に負傷している。報告が入るなら宙港で捕まったという吉報だろう。凶報であってもシドはハイファを動かす気など欠片もなかった。  レンタル屋まで飛んでBELを返しタクシーに乗って時間を見るともう三十一時を過ぎていた。夕食も摂っていないのを思い出したが、辺りはセピア色のライトアップばかりで何処にもコンビニなど見当たらない。仕方なく腹を鳴らしながら病院に辿り着く。  タクシーから降りてみると病院の隣に小さなベーカリーが煌々と明かりを灯しているのが目に入った。入院患者が脱走して夜食でも買いにくるのかも知れないと想像しながらベーカリーのドアを引き開ける。ドアの内側に付いたベルがカランと鳴った。  音で出てきたのは残念ながらエプロンを着けた中年男だった。 「いらっしゃい。やけに元気そうな脱走患者三号だな」 「いや、患者じゃねぇよ。付き添いだ」 「そうかい。うちのパンはどれでも旨いが、お勧めはこのホットサンドだ」  中年男が指したのは冷蔵庫らしいショーケースのサンドウィッチである。確かにどれも旨そうだ。ベーコンとチーズのホットサンドとチリドッグをふたつずつ購入する。クレジットを支払うと男はサンド四つをオーブンに入れて温め始めた。これは期待できそうだとシドは思う。 「付き添いも大変だな。兄さんはここのお人じゃないだろう?」 「ああ、まあな」  あっさり見破った男は防寒着の前を開けたシドを眺め、笑いながら続けた。 「そんな銃までぶら下げて、もしかしてゲリラかい?」 「真っ当に惑星警察か軍かって発想はねぇのか?」 「警官はそんなドでかい銃なんか持っちゃいない。軍人ほどお堅い雰囲気でもない。じゃあゲリラしかないだろう。怪我でもした相棒を連れてビスナの町から逃げてきたのかい?」 「ビスナの町って、そこはゲリラが多いのか?」  なかなかに観察力のある男は得々として頷く。 「ビスナの町は王政復古を最初に叫びだしたゲリラ発祥の地でね。ゲリラに取っちゃ聖地ってとこだな。ゲリラになりたい奴はまずそこに行く――」  このドレッタから五百キロほど南にあるビスナの町は、元々王族の離宮があったことから王室と縁が深く、そこに暮らす人々は王室信仰とも云える考えを持っているのだという。だが現在に至って離宮も殆ど使われなくなり、政府が離宮を潰して跡地に駐屯地を造ろうとした。  当然ながら町の人々は反対した。しかし計画は進められ、下見にきた政府関係者に対し、とうとう反対派がテロを起こす。高じて王政復古を目指すゲリラが現れた。 「って訳だ。ゲリラにならなかった者の大多数は居心地が悪くなって町を出、ゲリラはどんどん流れ込んで、殆どゲリラしか住んじゃいない。けど僅かなゲリラ以外の住人のために爆撃することもできなかったんだ」 「『できなかった』ってことは爆撃したのか?」 「その通り。十日くらい前に軍の一大作戦があってな。ビスナの町は半分が焼け野原って話だ」 「ふうん、全滅はしなかったんだな」 「ゲリラ以外も住んでる、丸焦げにしたら軍も外聞が悪い……おっと、こっちが丸焦げだ」  慌てて男はオーブンを開け、パンを取り出す。どうやら丸焦げは免れたようだ。紙袋に詰めた商品をシドは受け取る。ついでに保温機に並んでいたホットコーヒー二本も手に入れた。  礼を言って店を出ようとし、振り向いて男に訊く。 「ビスナの町に軍はなだれ込んだのか?」 「いや、病院を中心にゲリラは籠城戦らしい。軍も手を出せない、物資封鎖で様子見だな」  なるほど、長期戦を望む政府らしいやり方だった。  片手を挙げて挨拶しシドは病院に戻った。三階まで階段を上ってナースステーションに顔を出したのち三〇五号室の前に立つ。このオートドアは医療スタッフと患者、付き添いしか開けられない。リモータチェッカにキィコードを流すとグリーンランプが灯った。  そっと病室に足を踏み入れたが、気配でハイファがこちらを向く。 「お帰り、遅かったね」 「地元署で時間を食った。了解は取ってあるからメシ食うか?」 「うん。もうお腹が空いて眠れなかったよ」  手を洗い濡れタオルを作ったシドは窓側のベッド、ハイファの寝ている傍にパイプ椅子を置いて腰掛けた。ベッドに角度を付けてハイファの上体を起こさせるとベッド付属のテーブルを出す。濡れタオルで手を拭いてやり、紙袋から手に入れてきた食料を取り出した。 「わあ、いい匂い。熱々だね」 「コーヒーもあるぞ。いただきます」 「いただきまーす」  中年男のお勧めサンドはかなりの旨さで、空腹だった二人はあっという間に食べてしまう。また甲斐甲斐しく手を拭かせ、すぐに寝かせつけようとするシドをハイファは笑った。 「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。お手洗いだって歩いて行けるんだし」 「いいじゃねぇか、たまには世話掛けさせろよな」 「充分世話して貰ってるよ。貴方もいいから座ってて。あ、それより煙切れ?」 「ん、まあな」 「じゃあ指が焦げるほど吸ってきていいから」  立ち上がりかけたシドだったが『焦げる』という言葉でベーカリー店主に聞かされたビスナの話を思い出す。座り直してハイファに話して聞かせた。
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