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第3話・事件発生。「落とし物ですよ」って返して欲しくないヤツ
平然とポーカーフェイスで言われ、ハイファは目許を赤くしながら俯いてナイフとフォークをプレートに置く。だが次には昂然と顔を上げた。顔だけではなく左手も挙げて翳す。
「なら来年の抱負……貴方は僕とのことを職場関係諸氏に対して認める。どう?」
「何でそういうコトになるんだよっ!」
噛みつくように言ってシドも自分の左薬指を見下ろした。そこにはハイファとお揃いのリングが嵌っている。今のような仲になって暫く経った頃、シドが煙草を買いに出た際にふらりと宝飾店で手に入れてきたものだ。
こんなモノまで嵌めているのに、シドは未だに職場でハイファとは『タダの仕事上のバディだ』などと言って譲らない照れ屋で意地っ張りなのである。
元々完全ストレート性癖ど真ん中で、うっかりハイファに堕ちてしまったのはシド本人にとっても青天の霹靂だったのだ。
故に常のポーカーフェイスを装いながらも内心、酷くうろたえた。
そして余所と比べ不思議なほど女性率の低い男所帯の職場では、皆が中学生男子並み思考ときている。目が合うごとに誰からも冷やかされ、からかわれて非常に難儀した上にシド自身も大人の対応ができず、ハイファとの仲を躍起になって否定したのだ。
今ではとっくに皆が二人をカップル認定しているのはシドだって知っている。
ペアリングまで嵌めているのに今更ながら否定するのはシド自身も矛盾している、自分が滑稽だと分かってはいるのだ。だが今更主張を翻すこともできず、真顔で否定するのも苦しくなってきて、最近はたびたび自らドツボに嵌っているのである。
「いい加減に認めちゃえば楽なのに」
「放っとけ。それよりお前こそスパイだっつーのを公表したらどうなんだよ」
「それは軍機、軍事機密です。知ってるのは貴方と課長だけなんだから、職場で僕をスパイ呼ばわりするのはやめてよね」
「けっ、スパイでスナイパーで刑事で専務で王族か。冗談みてぇだよな」
不機嫌に言ってしまってから、シドは失言に気付いてハイファをチラリと窺った。
別室入りする前の二年間ハイファはスナイパーをしていたのだ。その腕前は減衰しない高性能ビームライフルなら三キロの超長距離射程を誇り、別室任務でもたびたび狙撃任務を請け負ってきた。当然ながら人を殺す任務だった。
「……すまん」
「構わないよ、事実だし。それに何度も言ってるけど恥じてないしね」
「そうか、ならいいが。俺も何度も言ってるけどさ、もうお前だけにトリガは引かせねぇからな。何もかも一緒に背負っていくんだぞ」
「分かってるって。ありがと」
喋りながらもオーケストラの演奏を愉しみ、ディナーはデザートのショコラ・アラカルトのベリープディング添えとなっていた。コーヒーと一緒に頂く。
そうしてプレートを綺麗にした頃だった。
ワルツと晩餐を愉しむ人々のテーブルの間を、タキシードの正装をした老年の男が歩き始めて皆の目を惹く。シドとハイファからかなり離れたテーブルで晩餐を味わっていた老夫婦、その夫の方がナイフとフォークを置くなり夫人の制止も聞かず、ふらふらと彷徨いだしたのだ。
給仕をする黒服のギャルソンたちと共に、その老年男をシドとハイファも眺める。
「ねえ、あの人、すんごい顔色が悪くない?」
「確かにな。救急機を呼んだ方がいいんじゃ……拙い!」
老年の男は追いかけてきた夫人らしき女性ともつれ合うようにして倒れていた。それだけではない、老年男の手には明らかに手投げ弾と思しき物体が握られていたのである。
更には倒れる際に口から血を吐き出し、その血飛沫が演奏するハリエットフィル管弦楽団のヴァイオリン奏者たちに向かって派手に撒き散らされたのだ。
当然ながら演奏は中断され、あちこちのテーブルから悲鳴が上がった。
「ハイファ、五分署と救急にリモータ発振!」
「アイ・サー!」
数知れないイヴェントで危機管理能力を磨かれてきたシドは真っ先に倒れた老年男に駆け寄って手投げ弾を拾い上げている。ハイファはリモータを操作、ここの管轄である五分署に同報の発振を入れていた。同時に救急要請もしながら自分も老年の男の許に走る。
そしてにわかに信じられないものを見た。
「シド、この人、病気じゃない!」
殆ど同時にシドも気付いている。倒れた老年男は口から血を吐いたのではない、後頭部を撃たれて貫通した弾が頬に抜けたのだ。砕けた半顔は酷い有様、おまけに一緒に倒れた夫人らしき女性も貫通弾を被弾、側頭部から血を流して意識がない。
咄嗟にシドは銃を抜いている。何処かにこの夫婦を撃った奴がいる筈だった。一方でハイファも銃を手にしている。二人は背中合わせで辺りを目で走査した。
この太陽系では普通、私服司法警察員に通常時の銃携帯を許可していない。シドとハイファの同僚たちも持っている武器と云えばリモータ搭載の麻痺レーザーくらいだ。それすら殆ど使わないという。
だが普通の刑事ではないイヴェントストライカはこの限りではなかった。シドに銃はもはや生活必需品で、捜査戦術コンも必要性を認めている。
シドが手にしているのはレールガンだった。
セントラルエリア統括本部長命令で武器開発課が作り特別貸与されているこれは、針状通電弾体・フレシェット弾を三桁もの連射が可能な巨大なシロモノで、マックスパワーなら五百メートルもの有効射程を誇る危険物である。
右腰の専用ヒップホルスタから下げてなお、突き出した長い銃身をホルスタ付属のバンドで大腿部に留めて保持していた。
ハイファもイヴェントストライカのバディを務める以上、銃は必須である。
スーツの懐、ドレスシャツの左脇から引き抜いたのは火薬カートリッジ式の旧式銃だった。薬室一発ダブルカーラムマガジン十七発、合計十八連発の大型セミ・オートマチック・ピストルは名銃テミスM89のコピー品である。
撃ち出す弾は認可された硬化プラではなくフルメタルジャケット九ミリパラベラムで、異種人類の集う最高立法機関である汎銀河条約機構のルール・オブ・エンゲージメント・交戦規定に違反していた。パワーコントロール不能の銃本体も勿論違反品である。
元より私物を別室から手を回して貰い、特権的に登録し使用しているのだ。
ともあれシドは人々をじっと目で追った。対してハイファは確信的な思いを抱いて窓を端から舐めるように見てゆく。そして先に見つけたのは元スナイパーのハイファだった。
「シド、見て!」
押し殺したような囁きに反応して振り向いたシドも、窓の強化透明樹脂にポツリと空いた穴を見つける。目の高さに一センチにも満たない小さな穴だった。
だがここは七十五階建ての最上階だ。周囲は超高層ビルの林立ではあるものの、このマイスノーホテルよりも高いビルは近くにない。硬い顔をした相棒に問う。
「スナイプか……けど、どういうことだよ?」
「BELから撃ったとしか思えないね」
BELは反重力装置を備えた航空機で小さな三角翼を持っている。現代の交通手段としては一般的なものだ。そのBELは窓外に航法灯を煌めかせて数多く飛行しており、夜空の中の赤と緑の明かりのどれから狙ったものかなど分かる筈などなかった。
それでもシドは諦めきれずに自ら航空交通局にリモータ発振しつつ、窓へと走り寄る。そんなシドをハイファは慌てて留めた。
「貴方まで撃たれるかも!」
「あ、ああ。こいつか」
片手に巨大レールガン、もう片手には手投げ弾を持ったままだった。咄嗟にハイファは老年の男が手投げ弾のピンを抜く寸前に、何者かがその頭を撃ち抜いて爆発を阻止したというストーリーを脳内で組み立てていた。その思考は見えない共有フォルダに流れ込んだようにシドにも伝染している。
だが窓からシドが離れようとしたそのとき、再び血飛沫が舞った。
何かに思い切り叩かれたような衝撃を感じてシドは自分の左手を見る。左手の甲に穴が空いて熱い血潮が噴き出していた。しっかりと持っていた筈の手投げ弾が足許に落ちて転がる。
反射的に見た窓にはふたつ目の穴が空いていた。
「シドっ!」
駆け寄ってきたハイファをシドは逆に抱き込むようにして床に身を投げ出す。銃撃がこれで終わりとは限らない。
対衝撃ジャケットを着るヒマもなかったが、ハイファを撃たれる訳にはいかなかった。そのままシドはハイファを抱き、手近なテーブルの陰に這い込んだ。
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