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第1話・オーケストラより飯と愚痴(初回なので説明チック)
小編成のオーケストラがポルカを奏で終え、テーブルに着いた皆が控えめに拍手をして見事な演奏を称えた。燕尾服の指揮者が堂に入った礼を取ったのちに再び楽団の方を向き、今度はゆったりとしたワルツを演奏し始める。
「ふあーあ。世間サマは年末でクソ忙しいのに、暢気なもんだぜ」
「しーっ、大声で喚かないでよね、恥ずかしい」
恥ずかしいのは大声だけでなく、それを発したシドが大欠伸と共に滲んだ涙と垂れかけたヨダレを袖でごしごしと拭いたことだった。ハイファの差し出したハンカチが間に合わなかったのである。せっかく今日のために新調したスーツが台無しだ。
「ああ、もう。自意識ってモノがまるでないんだから」
「いいじゃねぇか、誰も見ちゃいねぇよ」
確かにこのテーブルにはシドとハイファの二人きりだが、今日に限ってレストラン内は混み合っているのである。百令星系からやってきたハリエットフィルのディナー演奏会というので、オーケストラにかなりのキャパシティを取られた上に大勢の客を受け入れていて、テーブル間のスペースは非常に狭いのだ。
大声にこちらを向いた右隣の妙齢の女性たちをさりげなく眺めてシド、
「それに付き合ってやってるんだ、文句を垂れるな」
「全部僕のせいみたいに。誰がこのディナーご招待の当たりクジを引き当てたのサ」
「じゃあお前、ここに来たくなかったなら最初から言えばよかったじゃねぇか」
「そんなことは言ってないよ」
サーヴィスされた前菜のサラダとテリーヌのプレートを前に、ハイファはシルバーを手に取る。シドもナイフとフォークを手にして食べ始めるのを見て微笑んだ。
本当は嬉しくて堪らなかったのだ。新年に休日が取れたのも幸い、おまけにシドが盛装してこんな所に一緒に出掛けてくれることなど滅多にないのだから。
ここは地球本星セントラルエリア、マイスノーホテル最上階の最高級フレンチレストラン、ラ・キュイジーヌ・フランセーズ・オジアーナだ。その年末から年始にかけての『ハリエットフィル管弦楽団の贈るニューイヤーコンサートディナー』の真っ最中である。
そもそもこんな肩の凝る店で年末年始を過ごすことになったのは、二人の自室のある単身者用官舎ビル地下のショッピングモールにて開催されていた『千クレジットの買い物で一回・夢を当てよう!』なる福引きで、シドが特等を当てたからだった。
マイスノーホテルでの一泊付きディナーなどシドは興味がなく、さっさとネットオークションで売り払おうとしたのだが、そこに職場の皆と課長の策略があった。
ホテル一泊チケットの存在を知った二人の同僚たちと上司のヴィンティス課長が結託して手を回し、この日に合わせて二人は警務課から有休取得命令を下されたのだ。
「ったく、あいつらの嗅ぎつける能力だけは大したもんだからな」
「でもさすがはイヴェントストライカだよね、特等なんて」
「お前、ここでそいつを口にするとは命が惜しくないらしいな」
「ごめん……だからってそう簡単に銃を抜かないでよ!」
イヴェントストライカ、それはシドに付けられた仇名だった。
銃を収めた相棒の男、若宮志度をハイファは軽く睨む。
約三千年前のラストAD世紀に行われた大陸大改造計画以前に存在した、旧東洋の島国出身者の末裔であるシドはその特徴を色濃く残して前髪が長めの艶やかな髪も、切れ長の眼も黒かった。滑らかな象牙色の肌を持ち造作は極めて整い端正である。職業は太陽系広域惑星警察刑事で所属はセントラル地方七分署・刑事部機動捜査課だ。
そして今は見えないが膝には愛用のチャコールグレイのジャケットを置いている。これは自腹を切った価格も六十万クレジットという特殊アイテムで、挟まれたゲルにより四十五口径弾をぶち込まれても打撲程度で済ませ、生地はレーザーの射線も弾くシールドファイバというシロモノだった。夏は涼しく冬は暖かい逸品だという本人の自慢はともかく。
「せっかく盛装してきたのに、実際そんなモノを着て歩かなくちゃならない、日々がクリティカルなイヴェントストライカっていうのは本当のことじゃない」
「だからって今言い出すことでもねぇだろ!」
ギリギリのラインでマナーを守りつつもヤケのようにテリーヌを口に放り込みながら、シドは優雅にナイフとフォークを操るハイファを睨み返した。
ハイファことハイファス=ファサルート、勿論シドと職業・所属ともに同じである。
だがスーツに包まれた躰は非常に細く薄かった。シャギーを入れた明るい金髪は後ろ髪だけ長く、それを銀の留め金を使い、うなじで束ねてしっぽにしている。しっぽの先は腰辺りまで流れていた。瞳は優しげな若草色でノーブルな美貌は女性と見紛うほどである。
しかしなよやかな見かけに反して現役テラ連邦軍人でもあるのだ。テラ連邦軍での所属は中央情報局第二部別室という一般人には聞き慣れない部署である。
中央情報局第二部別室、その存在を知る者は単に別室と呼ぶ。
現代では銀河中でテラ人は暮らしていた。それらテラ系星系を統括するのがテラ連邦議会、別室はそのテラ連邦議会を裏から支える組織である。
曰く『巨大テラ連邦の利のために』を合い言葉に目的を達するためなら喩え非合法な手段であってもためらいなく執る超法規的スパイの実働部隊だった。
そこでは汎銀河で予測存在数がたったの五桁というサイキ持ち、いわゆる超能力者までをも複数擁し、日々熾烈な諜報と謀略の情報戦を展開しているのである。
「大体、スパイ野郎にンなこと言われたくなんかねぇな!」
「だから大声出さないで。それにスパイは辞めたもん」
「スパイを辞めただと? 明日の休日、みんなと課長の策略だけじゃねぇ、お前の意志が介在してることに俺が気付いてねぇと思ってるのか?」
「あ、バレた?」
「俺に黙って暗躍するとは、いい根性じゃねぇか。やっぱりスパイだぜ」
不機嫌に言い放つとシドは口についたドレッシングをナプキンで拭った。
それを眺めてハイファは聞かれないよう小さく溜息をつく。仕方ない、バディが機嫌を悪くしている理由も非常によく分かるのだ。シドのご機嫌が急速に斜めになった理由、それはハイファの過去に対しての嫉妬であり、別室と別室長ユアン=ガードナーに対する恨みだった。
ハイファが別室で何をしていたかと云えばやはりスパイだった。バイである身とミテクレを利用し尽くし、汎銀河を駆け巡っては敵をタラして情報を盗み取るという、かなりえげつない手法で別室任務に邁進していたのである。
そんなハイファが別室任務の一環で、とある事件を捜査するために七分署機捜課に出向き、七年来の親友であり想い人でもあったシドと初めて組んだ。二人の捜査の甲斐もあり事件のホシは当局に拘束された。だがそれだけでは終わらなかった。
ホシが雇っていた暗殺者に証人でもあった二人は狙われたのである。
暗殺者が手にしていたビームライフルはシドを狙っていた。だがビームの一撃を食らって倒れたのはハイファだった。命を懸けてシドを庇ったのである。
お蔭でハイファの上半身は半分以上が培養移植ものだ。
しかし生死の境を彷徨った挙げ句に病院で目覚めたハイファを待っていたのはシドの一世一代の告白という嬉しいサプライズだった。一度失くしたと思った瞬間シドは何よりハイファを失いたくないと気付いたのだと云う。そしてシドは言ったのだ。
『この俺をやる』と。
「でもサ、実際スパイを辞めたのは貴方のせいだよ、分かってるの?」
「それって俺のせいか?」
「他の誰のせいでもないんじゃないの?」
告白を聴かされて当然ハイファは舞い上がったが弊害が生じたのである。
想いが叶ってシドと結ばれた途端にハイファはそれまでのような別室任務が務まらなくなってしまったのだ。七年もの想いの蓄積故か、敵をタラしてもその先ができない、平たく云えばシドしか受け付けない、シドとしかコトに及べない躰になってしまったのである。
「別室戦術コンが『昨今の事件傾向による恒常的警察力の必要性』なんてのを説いてくれなかったら、僕は別室をクビだったんだからね」
「それでお前は別室から惑星警察に左遷、と」
「出向です。失礼しちゃうな、もう」
「お前が怒ることは何もねぇだろ。俺とバディになって嬉しくねぇのかよ?」
「嬉しいに決まってるでしょ。貴方は嬉しくないの?」
僅かに目を逸らしたシドだってハイファが任務で知らない誰かを抱き、また抱かれると思うと当然嫉妬心が湧き、苦しくも悔しかった。
故にハイファの出向は二人にとって渡りに船だったのだ。
おまけにシドには当時、刑事としてのバディが不在だった。
民間交易宙艦で生まれ育ったシドは六歳にして事故で家族全員を亡くして交易艦を降り、テラ本星の田舎にある施設で育った。そこを十二歳で出て全寮制の学校に入りスキップして十六歳で広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミーに入学した。
けれど四年在籍すれば箔と階級が自動的に付いてくる特典を蹴飛ばし、二年で任官した。
だが十八歳で警官になったはいいが、それから五年もの間『刑事は二人で一組』というAD世紀以来の倣いであるバディシステムの恩恵に与れなかったのである。
「四年いたら今頃はマイヤー警部補たちと階級も同じだったのにね」
「別に階級目当てじゃねぇもん」
「そりゃあ、事件・事故のイヴェントに遭遇しまくるナゾな特異体質で、いい加減に警察呼ぶよりも自分が警官になった方が早いって理由で任官したんだから刑事は天職でしょうとも」
「うるせぇなあ、もう」
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