給餌する齋藤さん

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給餌する齋藤さん

唐突に、齋藤さんは僕からその身体を離した。 そして、呆然とする僕に向け、彼はその右手を差し出す。 その手は卵を上から掴み上げるような感じだったし、掴み下げられた卵は今にもその手から滑り落ちそうだった。 「ほら、早くしないと。お前の卵だよ」 (さげす)むような口調にて齋藤さんはそう告げる。 僕は慌てて両の手を卵の下へと差し出す。 僕の手が伸ばされるのとほぼ同時に、齋藤さんの手から卵が滑り落ちる。 それは、まるでポロリと音を立てるかのようにして。 滑り落ちた卵の下へと差し伸べられた僕の掌は、辛うじてそれを受け止める。 あぁ、良かったと安堵の気持ちにて僕の心は満たされる。 受け止めた卵はほんのりと暖かかく感じられた。 齋藤さんと手を握り合った時の温もりが脳裏へと蘇り、僕の動悸は激しさを増す。 「そうだ、それがお前の卵だよ」 突き放すような調子を帯びた齋藤さんの言葉に対し、僕は『はい』と答えようとした。 けれども、それは声を為さなかった。 唐突に、僕の下腹部へ衝撃が走ったのだ。 ウッと呼吸が詰まり、グラリとよろめいた僕は思わず上半身を(かが)めてしまう。 しかし、今度は鳩尾(みぞおち)へと衝撃が走った。 まるで下からドスンと突き上げられるかのようにして。 「グゥワッ!」といった悲鳴が口から(こぼ)れ出て、それに続いて唾液が滴り落ちる。 崩れ落ちるようにして、僕はその場へとへたり込んでしまう。 ゴフッ、ゴホッと荒く息を吐く僕の耳へと齋藤さんの声が響き入る。 冷やかなその声音は嘲りの気配も纏っているように感じられてしまった。 「ふふん、ちゃんと卵を落とさずに持っているな。 合格だ」 そうなのだ。 床にへたり込みながらも、僕は両手にて卵を抱え持っていたのだ。 何故か、そうしなければならないと感じていたから。 「もしも、だ。 もしもお前が選別に耐えられずに卵を取り落としていたら、その時は……」 齋藤さんのその声音は冷ややかで、そして厳かだった。 僕は恐る恐る顔を上げて眼前に立つ齋藤さんを見上げる。 彼は握り締めた右の拳を左の(てのひら)(さす)っていた。 恐らく齋藤さんは、あの右の拳を僕の腹や鳩尾へと叩き込んだのだろう。 怯え、あるいは怖れに似た気持ちを抱きつつ、僕は更に視線を上げて齋藤さんの顔を見遣る。 目に映るその顔の輪郭は仄かにぼやけていた。 朧気な視界の中、齋藤さんが優しげな笑みを浮かべたのが分かった。 「さぁ、卵の時間だ」 冷厳さの中に仄かながらも慈しみを湛えたような齋藤さんの声が僕の耳へと響き入って来る。
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