憂鬱なる小島くん

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憂鬱なる小島くん

「おぃ、小島くん! 君はね……、君は卵を食べなきゃ駄目なんだよ!」 給湯室へと響き入って来た騒々しい声に、僕は胸中にて『はぁ……』と溜息を付く。 声の主は、僕が内心にて『卵オヤジ』と呼んでいる職場のオッサンだ。 ほっそりとした体型の僕は、関わる人達から『モヤシ』とか『マッチ棒』などといった渾名を付けられるのが常だったりする。 痩せた人間が気に入らないのか目障りなのかは知らないけど、卵オヤジは僕の顔を見掛ける度に、卵はいいぞ卵を食べろ卵を食べれば肉が付くぞなどと叫び掛けてくる。 もう鬱陶しいくて鬱陶しくて仕方が無い。 その卵オヤジは隣の部の課長補佐で、その年齢は五十過ぎ。 苗字は酒井。 仕える『課長』は彼より五つほど年下なこともあって『窓際』に足を突っ込みかけたような立ち位置だけれども、その元気は無駄に良く、一種異彩とも言える存在感を課内に、いや、フロア中に放っていた。 時間はお昼時。 給湯室にヅカヅカと歩み入って来た卵オヤジは、僕の手に在る今まさにお湯を注ぎ込まれようとしていた豚骨味のカップラーメンを無遠慮に覗き込んでからこう口にする。 「ダメだダメだ、カップラーメンだけでお昼を済ませているようじゃ全然ダメだよ小島くん! この間も言ったじゃないか、小島くんには卵が必要だって!  卵はいいぞぉ~、卵は! 卵だよ卵、君には卵だ!」 一体どれだけ卵と連呼すれば気が済むんだよこのオヤジはとの苛々した思いが心に湧き上がる。 けれども、隣の部とは言え僕より役職は上なのだから、表立って文句を言うことは憚られてしまう。 そんな思いを胸にした僕の、やや憮然とした態度など構うことも無いままに卵オヤジはこう問い掛けてくる。 「キミ、いくつだっけ?」と。 二十八です、と僕はボソリと答える。 卵オヤジは大きく二、三度頷いてからこう口にする。 「もうすぐ三十じゃないか! そろそろ身を固めることを考えなきゃいかんな!  男は結婚してようやく一人前だぞ!  例え仕事が出来たって結婚してなきゃ半人前に見られるからな。 そんなヒョロヒョロでガリガリじゃギャルになんかモテんし、それに子供だって作れんぞ!  どうせ彼女だっていないんだろ?!」 無遠慮にそう言い放った卵オヤジは、ツヤツヤとしたその顔に下卑た笑みを浮かべつつ僕の右肩をバンバンと叩いてくる。 その勢いに僕は小さくよろめいてしまう。 叩かれた右肩がジンジンと痛み出し、ムカムカとした気持ちが胸へと込み上げてくる。 そして、心中にてこう毒突く。 何だよ結婚しないと半人前って昭和かよ。 モテないとか彼女いないとかお前にはどうでもいいだろ、そんなの放っといてくれよ。 食も細いんだから痩せてても仕方無いだろ、と。 そんな思いを抱えつつ、僕は視線を下ろして奴の頭を見遣る。 卵オヤジは僕より頭半分ほど背が低い。 七三に撫で付けてポマードで固めたその髪は、年齢には不釣り合いなほどに黒くテカテカとしている。 その腹にはタプタプと肉が付いていて、白いシャツの胴回りなどはち切れそうな程に張り詰めている。 下ぶくれのツヤツヤとした顔と相俟って、まるで卵オヤジそのものがゆで卵のように見えてしまうし、ちょっとした悪夢を見ているような気持ちにすらさせられてしまう。 そして、三人も入ればすし詰めになってしまうほどに狭い給湯室へ無駄な暑苦しさを放っている卵オヤジが押し入って来ているのだ。 例えでも何でも無くて、もう本当に息が詰まりそうだ。
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