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倒れていた男は救急搬送された。まぁ恐らく命は助かるだろう。
そしてこの物々しい状況から見ても、事件性が高いことは明らかだ。十中八九、あの女が盛ったクスリが原因だろう。
僕は駆けつけた警察官に状況を話した。男を発見する直前に、女が大声を上げて逃げるように店を出て行ったことも。
「女性はずいぶんと動転している様子で、お兄さんの肩にぶつかりながら走っていった、と。その後、あちらの方の証言ですと、女性が店を出た後、お兄さんがあのブースを訪れて、倒れていた男性の発見に至ったということですが、なぜあのブースへ行ったんです?」
ペンを構えながら、目の奥で何かを捉えるように僕を見つめる。
ふん。あの客のうちの一人が、漫画を探している風に僕の行動を見ていたか。
「出て行った女性の方も顔面蒼白でしたので、ただのカップルの喧嘩という雰囲気ではない、何か大変な事が起こったのではという正義感からです」
「なるほど……。いやお兄さんのおかげで発見が早くてよかったですよ。その点はありがとうございました」
僕は微笑んで会釈した。
「ところで、本当にその時初めて、あのブースへ行ったんですか?」
僕に礼を言った時点から、わずかに鋭い表情へ変わる警察官。
「え? ええ、もちろんそうですが」
「いやね、あの部屋にはカップが3個置かれてたんですよ。まるで3人いたかのように。お知り合い、ということは?」
「知り合い? いえ、全く存じ上げません。あぁ、そうか。そもそも僕はあの時、ドリンクコーナーへ向かっていたんです。その途中で女性が出て来た。そしてコーヒーを持ったまま、男性が気になったのであのブースへ行ったんです。すると男性の様子がおかしいので、慌ててそのコーヒーを置いて意識確認をしたんだ。うん、確かに、置いた記憶があります」
「そうですか」
手帳にすらすらと書き込む警察官。
ふう。なぜ今日に限って、ネットカフェで執筆することにしたんだ僕は。そういえばもう、23時過ぎか。昼を食べてから、何も食べずに執筆していたものだから腹も減ってきた。ここらで帰してもらえるとありがたいんだが。
「僕の知る限りの状況は全てお話しましたので、よろしいでしょうか」
「あぁお兄さん、待って。念の為、署でお話聞かせていただけますか? ちょっと、身分証も見せていただけると」
ほほう。第一発見者が最も怪しいとはこのことか。それとも僕、そんなに怪しいかな。
「わかりました。では、一本仕事の電話をしてからでも?」
古宿警察署の取調室で待っていると、事情聴取の担当官が入ってきた。50代くらいの、ギトッと日に焼けた男だ。
「お待たせしました。捜査一課の三谷といいます。えー、たかばやしー、のりたださん」
「はい」
「先ほどのネットカフェでの事件の目撃者であり第一発見者、ま、つまり参考人ちゅうことで、詳しくお話を聞きたいんですが、すみませんね遅い時間に。初動捜査っちゅいまして。これが肝心なんですわ。答えたくないことがあれば拒否してかまいません。よろしいですかい?」
「はい」
「えー、高林さんのご職業は?」
「作家をしています」
「へー、作家さん? え、有名な作家さんかい?」
「いえいえ、僕なんて。鳴かず飛ばずで」
「まぁー芸事の世界は厳しいからなぁ。売れてる作家さんがこんなとこに来てちゃいかんしな。ガハハハハ」
「いやまったくその通りで」
わはははと返しておいた。
「で。女が例のブースから飛び出て来て、異変を感じた高林さんはブースの戸をノックし、返事がないので開けてみると、男が倒れていた、と。間違いありませんかい?」
「ええ、まさにその通りです」
「ふん。相当に正義感が強いか、お節介屋か、あるいは、男が危ないことを予測できていたか」
三谷刑事の目が僕を捉える。
「普段から創作のためにアンテナを張っているので、異常事態への勘は鋭いかもしれません」
「なるほどう。まぁいずれにしても、男を助けようとした。あの男が死ぬことは望んでいなかった、という訳ですな」
顎に手を当てる三谷刑事。
「? ええ、もちろんです」
「逆に言えば、あの男が死ぬと困る?」
僕の瞳の奥の奥を読み取るような視線が伸びてくる。
「はい?」
「いやいや、あらゆる可能性を考えるのが我々の仕事なもんでね。ガハハハハ。まぁね、もちろん逃げた女の方を重点的に追ってますがね。被害にあった男にも仲間は多いようなんで、念のための聞き込みですよ」
「仲間……。なるほど、僕がその仲間なのではないかと」
「一応ね、もう少し、待ってくれるかな」
深夜の取調室に一人、取り残された。まぁ、僕の疑いが晴れるまでにはそう時間はかからないだろう。それよりも……。
さっきここへ来る前に、編集の大泉には連絡した。うまく繋いでくれているといいが。そして、もう一人。頼むぞ。
ふう。しかし腹が減ったな。詩子のおにぎりが食べたい。
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