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ハヅキくんの反抗期
「おっせーんだよ、くそ親父」
日もすっかり暮れて暗くなった玄関の前、作業着姿で「ただいま」と帰ってきた男の人に向かって、ハヅキくんの放った一言に、あたしは運んでいたパプリカの肉詰めの大皿を落っことしそうになって慌てた。
「悪いなー、これでも今日は早い方だと思うんだけどなぁ」
全く悪びれのない様子で上がりに腰掛けて靴を脱ぐ背中に、ひと蹴り。
「いってっ! こら、ハヅキ!」
無言のまま、ハヅキくんはリビングへと逃げていった。
「あー、もう。なんなんだよあいつ……て、あれ? 君は?」
一部始終を見てしまって、逃げ場もなくそこにいたあたしの存在にようやく気がついた男の人と、目が合って聞かれる。
「あ、えっと……」
なんと答えたらいいのか。しどろもどろになっていたところへ、和子さんがやってきてくれた。
「わ、京介帰って来たのか? まず風呂だべ? 沸いてっから先入ってきなー」
「あー、悪いね和子さん。お先します。で、この子は?」
「ああ、ミナちゃんだよ。東京から遊びに来たんだ。ほら、康太くんの娘さん」
「え!? まじ!? 康太来てんの?」
「あれ? ハヅキくんから聞いてないのか?」
「あいつ今口きいてくんないもん」
「かー、小さい時のお前そっくりだこと!」
「え!? まじで? 俺、和子さんとけっこう話してた気するけどなぁ」
「あたしでなくて。親とは全然話さなかった時期あったでしょうが」
「……あー、確かに。とりあえず風呂借りるね」
苦笑いをして、ハヅキくんのお父さんはお風呂場のある奥へと逃げるように去っていった。
「ミナちゃんもそれ持って行って、あったかいうちに食べな」
「あ、はい」
最初に会った時と変わって、和子さんの口調が段々と訛りが入ってきていて、普段の姿が見えてくる。きっと、ハヅキくんの家族ともずっと関わって過ごしてきていたんだろうなと思うと、今ここにいる人たちは、みんな家族みたいなものなのかな、なんて思って、少し他人行儀になってしまう。
持ってきた大皿を置いて、テーブルの端っこの空いている空間に座ると、すぐにキカくんがご飯茶碗を持ったまま隣に座った。
「今日高見公園行けなくて悪かった。明日絶対行くからな」
「あ、うん」
「キカー、これミナちゃんにやって」
「あー、はいはい。俺にもとって! パプリカ無しのやつ」
「ちゃんとパプリカも食べなよ美味しいのに」
珠恵さんのぶつぶつと呟く小言も聞かずに、キカくんはあらかじめパプリカには入れていないハンバーグのような肉だねを焼いたものが乗った皿を受け取って、満足げに食べている。
さっき、パプリカがまだ残ってあるのに、詰めずに丸めていたのは、この為だったのかと、珠恵さんのキカくんへの愛を感じる。
キカくんが元気いっぱいでまっすぐなのは、このお家の人たちがみんな優しくて愛情を注いでくれているからなんだと思った。
お風呂から戻ってきたハヅキくんのお父さんとハズキくんは相変わらずあまり口を聞かないでいた。だけど、パプリカの肉詰めを食べて幸せそうな顔をしている姿が瓜二つすぎて、みんなで笑ったら、ハヅキくんが拗ねてしまった。
そこはすかさずキカくんが「風呂に入ろう」と、誘ってことなきを得たけれど、あたしにまで「一緒に入るか?」と聞いてきたから、珠恵さんにキカくんが怒られていた。
怒られる訳がわからないままで、何度もこちらを振り向きながら、キカくんはハヅキくんとお風呂場へと消えていった。
「ごめんね、キカって幼くって」
「あ、いえ。大丈夫です」
とは言ったものの、同い年の男の子とお風呂はさすがにちょっと、いや、かなり困るかもしれない。
部屋で少し寛いでから、あたしはお風呂場に向かった。途中、薄暗い廊下から飛び出してきた二つの影に、思わず声をあげそうになった。
出てきた影が、キカくんとハヅキくんであることに気がついて、どくどくと鳴る心臓を服の上から掴んで二人の顔を見た。
「風呂上がったら、俺の部屋で作戦会議するからっ、絶対こいよ!」
大人たちはリビングでまだ談笑しているから、小声で念を押すように言われて、あたしは頷いた。
お風呂から出て、肩までの髪を急いで乾かす。まだほてった体でキカくんの部屋をめざした。
あたしの部屋とは反対側。玄関前の階段を登ってニ階の左側の部屋がキカくんのお部屋らしい。
そっと襖戸を引くと、待ち構えていたように二人が振り向いて手招きをする。
「そこしっかり閉めろよ」
戸をガラガラとしっかり閉めて、ハヅキくんとキカくんのために敷かれた布団の上に一緒に座った。手書きの地図のようなものが置かれていて、それを囲うように覗き込む。
「とりあえず、明日は高見公園までこの最短ルートで登って、そこから俺らの町をミナに説明する。次の日は大橋、線路、で、夏休み入ったら大橋でアレをやる」
「……アレ?」
自信に満ちたような表情をするキカくんに、あたしは首を傾げた。
「線路を走り抜けるんだ」
腕を振って走るふりをするキカくん。ハヅキくんは少しだけ暗い表情をしている。
「俺はさ、別に過去も未来も興味はないんだ。ただ、本当に飛べるのかってことだけは興味がある」
ワクワクと目を輝かせるキカくん。
「ハヅキは過去に行きたいんだよな」
ニコッと笑いながらキカくんがハヅキくんの顔を覗き込むと、戸惑うような顔つきで小さくうなづいた。
「俺、母親の顔を見たことがないんだ。俺を産んですぐに死んじゃったから。一回くらい、会えたらいいなぁって……思って」
さっき、珠恵さんから聞いたハヅキくんのお母さんのこと。とても優しくて綺麗な人だったって。
そうだよね、会いたいよね、会えるんだったら。
「なんだよ、ミナ。暗くなるなよ。別に母親が恋しいとかそんなんじゃない。だって、俺にはいなくて当たり前だったから。だけどさ、親父がなんかことある度にクヨクヨしてて、情けなくなってくるんだよな。俺には親父しかいないのにさ、もっと自信持ったらいいのにって思う。腹が立つからぜってー言わないけど」
ため息を吐き出すハヅキくん。そっか、お父さんのことが嫌いであんな態度をとっている訳じゃないんだ。
「じゃあ、過去に行ってお母さんからお父さんに一言もらって来なくちゃね」
「え、あ、ああ、そうだな。確かにそれはいいかもしれない」
きっと、お父さんとも仲良くなれるきっかけが出来そうだ。
「その前に、本当に過去や未来になんて行けるの?」
そもそもの話になってしまって申し訳ないけれど、聞かずにはいられない。妄想なんていくらでも出来てしまうから、現実とごちゃ混ぜになってしまうとよく分からない。
「それを試すんだろうが。よし、じゃあとりあえずまた明日! 解散!」
地図やら細やかな文字やらが並んでいたノートを閉じて、片手をあげたキカくん。
「おやすみー!」
「おやすみ」
寝る直前まで元気なキカくんに圧倒されながら、あたしは部屋を出た。
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