1.祝福の花の聖女

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1.祝福の花の聖女

 廃退した教会の礼拝堂。半屋外となった緑が生い茂るその場所で、祈りを捧げる一人の令嬢がいた。 「――()の者に祝福を――」  令嬢は愛しい婚約者のため、精根をこめて懸命に祈り続けている。  日の出よりも早い暁闇(あかつきやみ)から日の入りの黄昏(たそがれ)までかけて一心不乱に祈り続け、令嬢の祈りはようやく形をなす。  ――ォォォォオオオオォォォォ――  辺りの大地が、大気が、自然が、令嬢の祈りに共鳴して祝福の花を芽吹かせる。  芽吹いた若葉は瞬く間に成長していき、令嬢の目の前に小さな愛らしい花を咲かせた。  精根を使い切り疲れ果てた令嬢は息を切らせ、震える指先でなんとか丁寧に花を手折り、大切にそっと抱える。 「……良かった……」  『祝福の花』を咲かせられたことに令嬢はほっと吐息をこぼし、小さな花を見つめ微笑んだ。 「……思い出の花……これなら、きっと……」  令嬢が呟いていると、人の気配のなかった礼拝堂に足音が近づいてくる。  乱暴に扉が開かれると、王の使いであろう男が現れ、令嬢に告げる。 「聖女よ、国王陛下がお呼びだ」 「……はい……」  掠れる声で返事をし、疲れ果てた身体でよろめきながら立ち上がる。  細い足首につけられた鈍色の鎖を引きずり、令嬢は礼拝堂を後にしたのだった。  ◆  廃れた教会から出て、真新しく煌びやかな王宮へと入っていく。  令嬢がふらつきつつ回廊を進んでいれば、男が苛立った様子で声を荒げる。 「さっさと歩け、国王陛下をお待たせするつもりか!」 「あっ!?」  両足が鎖で繋がれ早く歩くことも困難な状態で、令嬢は男に突き飛ばされた。  令嬢は胸に抱えていた花をとっさに庇い、硬い床に強く身体を打ちつけ、痛みに呻く。 「うっ……う゛ぅ……」  男は下卑た笑みを浮かべ、床を這いつくばる令嬢の顔を覗きこんで嗤う。 「くっくっくっ。まったく、グズでノロマな聖女だ」  令嬢が恐る恐る男を見上げれば、その瞳に映るのは、おぞましく歪んだ姿だった。  全身を覆う真っ黒な体毛に、伸びた鼻先や尖った耳は獰猛な肉食獣を思わせる。  耳まで裂けた大きな口からは鋭く尖ったギザギザの牙が覗き、ギラギラと光る獣のような目が弧を描きニタニタと嗤っていた。  男の姿が、令嬢の目には人とは思えないおぞましい化物の姿に見えていたのだ。  令嬢の白い首には重い金属の首輪が着けられている。  男はその首輪からぶら下がる鎖をむんずと掴み、令嬢を無理矢理に立たせると、力任せに引っ張って歩きだす。 「ほらほら、さっさと立って歩け! 早く来るんだ!!」 「うぐっ……」  首輪が柔肌に食いこむ。令嬢は苦しさに喘ぎながら、引きずられるように歩かされた。  その様子を見て、回廊ですれ違う女達がクスクスと嗤い、口々に言う。 「あらあら、随分とみすぼらしい野良犬のような聖女ですこと。あんなのが国王陛下の婚約者だなんて信じられませんわぁ」 「まぁまぁ、きっと仮初の婚約ですわよ。あのお美しい国王陛下が、あんな見苦しい聖女を王妃にするはずがありませんもの」 「そうですわよねぇ。最近では国王陛下への祝福の花もろくなものが贈れていないと噂だし、そろそろ見限られるんじゃないかしら」  女達の姿も、令嬢の目には真っ黒い身体にギョロギョロとうごめくいつくもの目玉がついた化物や、ペチャクチャとしゃべるいくつもの口唇がついた化物、ピクピクとそばだついくつもの耳朶がついた化物の姿に見えていた。 「あの聖女が見限られたら、正式な王妃選びね。今の内に目一杯お洒落して見初めていただかなくちゃ。うふふふふ」  回廊ですれ違う人々は皆、男も女も令嬢に侮蔑や嘲笑の視線を向ける。  いずれも派手な衣装や宝飾品で着飾ってはいるが、令嬢の目には怖ろしい化物の姿に映ることに変わりなかった。  令嬢が引きずられて息も絶え絶えに辿り着いた先は、毎晩開催されている豪勢な夜会のパーティー会場だった。  今宵も多くの人々が集まり、王の周りを取り囲んでは称賛の声を上げている。 「国王陛下はいつ拝見しても大変にお美しく、神々しくあらせられる」 「シミ一つない白磁の肌に端正な御尊顔、誰もが見惚れてしまいますわ」 「黄金の豊かな御髪に翡翠の煌めく瞳。全身が輝く宝石のようでございます」  男が人だかりの近くまで令嬢を引っ張っていくと、掴んでいた鎖をようやく放し、声を張って報告する。 「国王陛下、聖女を連れてまいりました!」 「……ああ、待っていたよ。私の聖女」  愛おしげに『私の聖女』と呼ぶ甘い声音が響き、人だかりを掻き分け、令嬢の前に愛しい婚約者が姿を現す。  令嬢の瞳に映るその姿は、真っ黒い身体がブクブクと膨れ上がり、巨大化してしまった怖ろしく醜い化物の姿だった。  ヒキガエルのようなブヨブヨの巨体に豪華な王冠をかぶり、無数に生えた手には王笏や宝剣や財宝など、付加価値が高いと思われるものが握りしめられている。  ギョロリとした巨大な目玉の中には無数の瞳孔がうごめき、周囲を忙しなく見回し、また令嬢をまじまじと見下ろしている。 「愛しい私の聖女。今宵はどんな祝福の花を与えてくれるのかな?」  どんなに怖ろしい姿に見えていようとも、どんなに変わり果ててしまおうとも、令嬢にとって愛しい婚約者であることに変わりはない。  胸に抱えていた祝福の花を差し出し、令嬢は王に微笑みかける。 「……これを……」 「なんだ、これは?」 「……初めて貴方に贈った、思い出の花……」  花を渡そうと伸ばした令嬢の手は打ち払われ、床に落ちた花は王によってグシャリと踏み潰された。 「っ!?」 「こんな無価値なものなどいらぬ」  踏み潰された花を愕然と見つめていた令嬢はよろよろと膝をつき、粉々になってしまった花を掻き集める。  そんな床を這う令嬢をギロリと見下ろし、王は言う。 「聖女よ、私には財力や権力や栄誉を生み出すものを、価値のあるものを与えてくれと言っただろう? この私が聖女として拾い上げ、婚約者として取り立ててやっているのだから、その存在価値を示してくれ。さぁ、私に祝福の花を!」  王はそう言うと、令嬢の前にいつくもの手を突き出して催促した。  令嬢は掻き集めた花を胸に抱き、涙を堪えつつ首を横に振り、震える声で訴える。 「……やっと、咲かせられたのが、この花だったのです。これ以上の花を咲かせることは、もうできません……」 「なんだと? この私を祝福できないと言うのか!? 祝福もできぬ聖女に価値などないのだぞ! 早く私を祝福し、花を咲かせるのだ!! 私に富を、力を、誉を与えるのだ! さぁっ、さぁっ!!」  王はヒキガエルのような大きな口を開けて唾を吐き飛ばしながら捲し立て、令嬢を恫喝(どうかつ)した。  令嬢は王の剣幕に怯えつつも、その場で祈りを捧げ、必死に祝福の花を咲かせようと試みる。  ――………………――  しかし、令嬢の祈りに共鳴するものは何もなかった。  祈っても祈っても、一向になんの反応もない。  すでに疲れ果てていた令嬢は憔悴しきった表情で王を見上げ、涙を浮かべて弱々しく告げる。 「……もう、できません……わたしには、もう……」  それを聞いた王はブルブルと震えだし、叫び声を上げて激怒する。 「なんとけしからん! この私を祝福できないとはなんたる不敬だ! 祝福できぬなら聖女ではない! 王を冒涜する罪人だ! 祝福の花を差し出すまで、禁固刑に処す!!」 「この花は、貴方を想って咲かせた花です……どうか、受け取ってください……」 「そんな無価値なものなど祝福とは認めぬ! 価値あるものこそが聖女の祝福だ! この私に愛されたくば、聖女としての存在価値を示すのだ!! ――衛兵、塔に閉じこめておけ!」 「ま、待ってください! これ花を……い゛っ、……」  令嬢は花を渡そうと王に追い縋るが、猛獣のような姿の衛兵達に乱暴に取り押さえられ、幽閉塔へと引きずられていった。  ◆
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