第二話 しらゆきはひっそりと嘆く

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第二話 しらゆきはひっそりと嘆く

 マンション前に停車し、ロックが解除され、運転手がドアを恭しく開けてくれたけれども、彼が腰に手を廻してガッチリ固定されているため逃げられそうにない。 (しかも降りる時に鞄まで奪われちゃったし……)  大人しく着いてくるなら鞄はすぐに返すって言われたけれど、彼を信じたら危ない。だけど鞄はいらないから帰ると言っても、すぐにわたしたちの後ろに二人のガタイの良い男がピッタリと後ろを着いてきてる男達に捕獲されるだろう。とてもじゃないけど逃げ出せそうにない。  なら、部屋に入ってすぐに鞄を取り戻してトイレに行くフリして逃げようとした方が可能性はある……?  そう思いながらも、この圧迫された空気が辛い。なんだかピリピリしている。そして正直彼に触れられるのも気分が重い一因だ。どうしても過去を思い出すせいで心臓が嫌な動悸をたてるし、背に嫌な汗をかく。離してほしくて視線で訴えるがそれも無理そうだ。しかも、彼が密着してくるせいで注目だってされるし居心地が悪い。  彼【北条鷹夜】は日本人なら知っている財閥の息子でフランス人の祖母を持つクォーター。彼の両親は純日本人といった顔立ちだから彼に先祖返りがきたらしい。キラキラと輝く金の髪と端正な顔に穏やかな性格、しっかりとした体躯で【経済界の王子】とよばれている。  なんでも彼がめったに出ない経済紙に出ようものなら彼を目当てに女性達がこぞって買うらしい。  その完璧過ぎる彼との接点は、わたしの両親が使用人として彼の屋敷で住み込みで働いていたからだ。  もしそうじゃなかったら完璧過ぎる七つ上の彼とは出会わなかったんだと思う。  王子様みたいな彼が幼い頃から周囲を憚らず「僕のしらゆき」なんて肌が白いことしか特徴もない地味なわたしを、童話のお姫さまに例えるから、女の子からは反感を買い、男の子からは面白がられてよく孤立した。  だけどわたしには鷹夜さんがいたらそれで良かった。  ――三年前までは彼がわたしの世界の中心だったから…… 「……あの、逃げませんからせめて腕を外していただけませんか?」  視線で無理なら言葉で訴える。しかし、彼は聞こえているはずなのにむりやり先に進ませようとする。 「鷹夜さん……」  その態度にムッとし、思わず彼の名を呼び、足に体重を掛け、前に進むのを拒否すると、ふぅとあからさまなため息をはかれながら立ち止まった。しかも振り向き様に「あまりに名前呼ばれなかったから もう忘れられたと思ったよ」と半笑いで嫌みを言われる始末。  確かに意識して名前呼ばなかったけれど、でも前ならこんなことは言わなかったはずなのに……  言い返せずに考え込むと突然大きな手で頭をわしゃわしゃ撫でられた。 「ごめん、ごめん。しらゆきがあまりに私から逃げようとするから意地悪が過ぎちゃったかな?」  昔と変わらない仕草と声のトーンが懐かしくて、思わず視線を上げ顔を覗き込むと恐ろしい程無表情で「でも、また逃げようとするならもっと意地悪するけれどね」とわたしを突き刺す。 「しらゆきは賢いから逃げないよね?」  つららのような視線を送る彼に耐えられなくて、思わず首を縦に振ると先ほどとはうってかわって、微笑まれる。 (彼が怖い……)  鷹夜さんは基本的にわたしに優しかったから余計にそう思うのかもしれない。もしかしたらさっきのが元々の彼なのかもしれないけれど。  腰にあった手が、わたしの手を絡めとり、「これならいいでしょ」とわたしの返事を待たずに歩き出す。相変わらず周囲注目はあからさまにないにしろある。けれどもう、もうなにも言えなかった。  ――もしも、またあの目で突き刺されたらと思うと……  玄関の扉で黒服二人が待機されてる状態で、どんどん逃げ場をふさごうとするのを感じる。  3LDK程のモノトーンを基調としたシンプルな広い部屋。  けどモデルルームみたいに生活感がなくて驚いた。キッチンも使った形跡もないし。まるで今日からこの部屋を使うみたいだ。キョロキョロと辺りを見回していたらお茶を入れている間リビングのソファーに座るよう指示され、大人しく黒い革貼りのソファーの端に座る。  普段はわたしがお茶を入れていたから  なんだか落ち着かなくてもぞもぞとしていると、対面式のキッチンからすぐに彼がやってきてミルクティーを置いてくれた。 (わたしがミルクティー好きだったの覚えてくれてたんだ。)  ふぅ、と息を吹きかけ冷まして飲むと少し気分が落ち着けた。 「もうお屋敷に暮らしていないんですか?」 「君が戻るなら私も戻るけど…」  質問には答えず、含み笑いをしてわたしを挑発する鷹夜さんは本当に意地悪になった。 「…………戻る理由がありません」 「理由が必要なら、いくらでもあるよ?たとえば雪乃が妻として戻るとかね」
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