あんしんのくすり

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あんしんのくすり

 これを飲めばきっと良くなるから。  そう言い聞かせて白くて小さな錠剤を口に入れる。そういった薬はすぐに効きませんから。先週訪問に来てくれた保健師が、小馬鹿にしたように笑いながら言っていた気がする。いや、小馬鹿にしながらは誤りかもしれない。自分の頭の問題で、相手の言葉や表情に過剰に反応しているのかもしれない。 「ママ! 出して! 出して!」  はっきりとそう言っているわけではないが、おそらくそのような内容を言っていると思う。娘がサークルの中で叫んでいる。  途端に頭がぐらぐらと歪む。  やめて、お願い、静かにして! 「や め て!」  サークルを激しく揺らす。中で娘が倒れて頭を打つ。我に帰り、慌てて娘を抱き抱えようとして、そこで気がついた。  倒れて転がっていたのは、娘の一才の誕生日に与えたお世話人形だ。  娘は、私と一緒にしておけないと、先月から夫の実家に預けてるのだった。  ああ、そうか。良かった。  ほっとすると同時にぞっとする。  今やったことは、娘になら虐待だ。  そんな判断もつかないほど、狂っていたのか。 「いや」  判断はしていてけれど、わかってしていたけれど。 「あ、嫌だ いやだ な」  頭を乱暴に掻きむしる。  薬箱を開けて、白くて小さな錠剤を飲む。いつ効くの? これ。  そういった薬はすぐに効きませんから。  ああ、そう。  それじゃあ、意味ない。今助けて欲しい。  キッチンのパントリーの棚を開ける。  買い置きした油やら醤油やらの、奥。紙袋に入れて隠しておいた。  これだぁ。  冷えてないけど仕方ない。 ぷしゅっっっっ 「何やってんの?」  怒りを抑えたような夫の声。ああ、仕事から帰ってきたのか。重たい目を開け上体を起こすと、ガンガンと響くように頭が痛む。右手には空になった缶ビール。  夫は床に転がっていた缶チューハイを拾い上げる。 「また飲んだの? 全部処分したと思ってたけど」  返事をしないでいると、 ガンッ  激しく音がした。  夫が持っていた空き缶を床へ投げつけたようだ。 「どうしてっ」  夫が叫ぶ。私はどうしたら良いのかもう分からず、ただ見ていた。 「どうしてっ、そうなんだ! 薬を飲んでるのに! ダメだって、医者にだって言われてるだろう! どうして」  夫は言いながら泣いていた。  どうして、どうして、そう繰り返して。  どうしてだろう。  結婚して子供を産めば良いと思っていた。人並みになれると思っていた。大勢の他人が出来ているから私にだって出来ると思っていた。  私と夫と娘の、ただただ幸せな生活だけが続くと思っていた。  だけど、どうして、どうしてだろう。 「わからない」  空気の中で音になったかは分からないけど、そう呟いた。  わからない、けれど。  これを飲むと、嫌なことが霞むから。不安でなくなるから。  それがたとえ一時でも。そのあとにさらに大きな不安が襲ってくるとしても。  私は、ーそう。  ただ安心したいだけなのに。
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