割れた画面

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 「次は終点、終て……。この……は車庫には……。本日も……をご利用いただきありが……た。」 途切れ途切れのアナウンスで目が覚める。仕事の帰りはとても眠い。家へ帰って、仕事の続きをしなければ。残業手当を得られない残業のために遅くまで1人で会社に残り、終わらなかった仕事を持ち帰る毎日。でも、つらくない。明日の朝、会社に行けば私の大好きな人達に会えるから。私が作った企画書を受け取ってすぐに破り捨てる課長、私が作った資料を使ってプレゼンをするチーフ、私が用意した書類を持ってクライアントのところへ行く先輩、たまにしか見かけない部長……。みんな私の大切な人、大好きな人たちだ。みんな私に愛を持って接してくれる。課長は私の成長のために厳しくしてくれているし、チーフや先輩はいつも私を褒めてくれる。部長とはあまり会えないけど、会うたびに挨拶をしてくれる。    扉の鍵を開けて、家の中に入る。返事をしてくれる人は誰もいないけれど、ただいま、と暗闇に声をかける。電気を点けて、着替える。残りの仕事を片付けようとして、USBを会社に置いてきたことに気がついた。やってしまった。自分の犯した失態に落胆して、深くため息をつく。仕方がない、明日の朝はいつもより早く出勤しよう。                                                  始発に乗って、会社へ向かう。駅から会社までは徒歩8分。走れば5分以内に辿り着けるだろうか。扉の鍵を開けて、会社の中に入る。返事をしてくれる人は誰もいないけれど、おはようございます、と暗闇に声をかける。電気を点けて、鞄を置く。パソコンの電源を入れる。会社のパソコンは少し古く、起動に時間がかかる。その間にコーヒーを淹れる。マグカップにお湯を注ごうとして、ふと気がついた。パソコンの起動音が聞こえない。会社のパソコンはいつも不思議な機械音を立てて起動するのだ。嫌な予感がして、パソコンに駆け寄る。なぜ、どうして。液晶画面が割れている。焦る心を抑えつけて、必死に考える。昨日退勤した時、画面は割れていなかった。とりあえず仕事を終わらせなければ。デスクの引き出しからUSBを取り出す。隣のパソコンに挿して、パソコンの電源を入れる。コーヒーを淹れる途中だったことを思い出す。ポットのお湯を沸かそうとして、ふと気がついた。パソコンの起動音が聞こえない。会社のパソコンはいつも不思議な機械音を立てて起動するのだ。嫌な予感がして、パソコンに駆け寄る。なぜ、どうして。液晶画面が割れている。焦る心を抑えつけて、必死に考える。昨日退勤した時、画面は割れていなかった。とりあえず仕事を終わらせなければ。パソコンからUSBを取り外す。隣のパソコンに挿そうとして、ふと顔を上げた。なぜ、どうして。液晶画面が割れている。隣のパソコンも、その隣のパソコンも……。向かいのパソコンも、その隣のパソコンも……。なぜ、どうして。液晶画面が割れている。課長、チーフ、先輩、部長……全員のパソコンの、液晶画面が割れている。なぜ、どうして。液晶画面が割れている。社内すべてのパソコンの、液晶画面が割れている。焦る心を抑えつけて、必死に考える。昨日退勤した時、画面は割れていなかった。これでは仕事を終わらせられない。なぜ、どうして。液晶画面が割れているのだろうか。焦る心を抑えつけて、必死に考える。昨日退勤した時、画面は割れていなかった。昨日最後に退勤したのは私で、今日最初に出勤したのは私だ。液晶画面が割れていることを知っているのは私だけ。先輩たちが出勤するのを待とうか。ダメだ、仕事が終わっていない。チーフがプレゼンで使う資料を作り終えていない。課長に渡す企画書はUSBの中だ。仕事を終わらせていない私を見たら、先輩はなんと言うだろう。なぜ書類の用意が終わっていないのか、と怒るだろうか。割れた液晶画面を見たら、チーフはなんと言うだろう。大変だ、と課長に報告するだろうか。チーフからの報告を聞いたら、課長はなんと言うだろう。どうすればいいか、と会社に来ていない部長に電話するだろうか。電話を受けたら、部長はなんと言うだろう。何か知っていないか、と私に聞くだろうか。部長に質問されたら、私はなんと言うだろう。何も知らない、と部長に答えるだろうか。私の返事を聞いたら、みんなはなんと言うだろう。お前がやったのか、と私を疑うだろうか。  コーヒーを淹れるのを止めて、鞄を持つ。電気を消して、扉を開ける。返事をしてくれる人は誰もいないけれど、さようなら、と暗闇に声をかける。扉を閉めて、駅へ歩き出す。改札を通って、ホームへ降りる。電車がホームに入って、扉が開く。電車に乗って、座席に座る。家とは反対の方面へ向かう電車へ乗って、どこへ行こうか。弾む心を抑えつけて、冷静に考える。今日出勤した時、画面は割れていた。携帯電話を取り出して、携帯電話の電源を切る。携帯電話をしまって、ふと顔を上げた。電車の窓ガラスは割れていない。
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