カテドラル伯爵家。

1/1
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

カテドラル伯爵家。

 アニスは平凡な娘であった。  くすんだブロンドに灰褐色の瞳。  これといって優れた所もなく、趣味の刺繍だけはそれなりに見事な手ではあったが、職人のようにそれを生業にするわけでもなく、所詮貴族の娘の手慰みにすぎなかった。  名門カテドラル伯爵家の長女として生まれたが、両親や祖父母は出来のいい兄と美しく愛らしい妹を溺愛していた。  虐げられる事もなく、蔑まれる事もなく、アニスはこの家にとってはいてもいなくても同じ、空気のような存在であった。  アニスの侍女になった者は陰で「はずれ」と言われてはいたが、さすがに名門と呼ばれる家の使用人だけはあり、表向きはしっかりと役目をはたしていた。  だから、アニスは不幸ではなかった。  ただ、誰にも愛されていなかっただけだ。  そんな、ある日の事であった。  カテドラル伯爵家の当主である父親がアニスを呼んでいる、と侍女に告げられた。 (……何かしら?)  兄や妹とは違い、アニスが父親に部屋まで来るように、と言われたのは初めてだった。  部屋に入ると、父親だけではなく母と兄もいた。 「アニス、君に縁談の申し込みがあった」 「え……」  父親の言葉に、アニスは戸惑った。 (私に縁談? 何かの間違いでは……?)  アニスがそう思うのも無理はない。  カテドラル伯爵家に日々山のように届く縁談は、全て美しく愛らしい妹のキャロラインへ当てたものだったからだ。 「父上、それは本当にアニスにですか? キャロラインではなく?」  父親は頷き、手元にあった釣書を兄に手渡した。 「向こうの使者が、姉のアニスだと何度も念を押してきたからな」 「相手は……、黒獅子騎士団団長!?」  兄が戸惑ったように声をあげた。 (まさか……)  アニスも声こそあげなかったものの、兄と同じように驚いていた。  黒獅子騎士団といえば勇猛果敢で知られ、団長のフィリックス=グラントはまだ若輩ながら国王陛下の信も厚いと聞いている。 (そのような方が、なぜ私に縁談を……?) 「アニス、彼と会った事があるのか?」 「いいえ」  兄の問いにアニスは首を振った。 「一度パーティーでお見かけしたことはありますが、話したこともありません」 「なら、その時に見初めたということか」  父親は腑に落ちたように呟いたが、アニスにはそうは思えなかった。  あの時は、共に参加したキャロラインがパーティー会場の視線を一身に集め、アニスはずっと広間の隅にいたのだから。 「悪い話ではありませんわね」  母親がアニスを見ながら微笑んだ。  確かにその通りだ。  妹のキャロラインとは違い、18歳になるアニスには今まで縁談の一つも来なかったのだ。  しかも、相手は申し分ない。 「アニス、この話を進めてもいいか?」 「はい。私にはもったいないほどのお話です」  父親の言葉に、アニスは頷いてみせた。  だが、内心では不安と疑問が渦巻いていた。 (何故、私にこの縁談が……?)    
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!