くらげのとき

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「チャンスは残り二回です」医師の声は、やはりきょうも楽しげだ。そりゃあそうか。患者が減るんだ。うれしいはずだ。  くらげ化した人間には、ある一定数、担当医から残りの投薬回数を通告されるものがいる。いつまでもだらだらとくらげでいると、ある日とつぜん、青天の霹靂がごとく言い渡される。  チャンスは残り三回、という表現が、なんとも絶妙。チャンス、という言葉に、希望があるように思わせつつ、残り三回、という限定的な言い方が、期待を持たせすぎない。そして、だらだら考えさせないよう、残り三回から通告してくる。これは、全国共通、通告の仕方がマニュアル化されているらしい。  わたしたちには、チャンスがある。人間に戻れるチャンス。人間としてまっとうに暮らしていける、チャンス。  だけど、そもそもがんばれないから、くらげになったわけで。そもそもがむずかしいはなしで。だから、チャンスを活かせるくらげは少ない。  チャンスがなくなると、わたしたちは選択を迫られる。くらげの姿で生きていくか、インリーフ行きか。保険適用でいつまでも薬はもらえない。患者が多すぎる。  投薬なしで人間に戻れる可能性はゼロに近い。だけど、保険は適用外になって、薬は目玉が飛び出るほど高額。いまとおなじ頻度で投薬するのは、わたしたちのような一般家庭ではほぼ不可能。それなのに、腐っても人間。くらげの姿でも人間ではあるので、住民税はかかるし国民年金保険料も払わないとだし、人間に戻るための投薬はしないにしても、現状維持のために通院はしなきゃいけないわけだから健康保険料も払わないとだし、だけどくらげは働けないしで、残された家族にすべての負担がのしかかる。わたしの家族は、アキくんだけ。  わたしは、人間には戻れないと思う。だって最近、水槽の中のほうが楽だ。布団の上でも息はできるけど、すぐにだるくなる。だからアキくんは、水槽ごとわたしを抱えることが多くなった。  重い。わたしは、重くなっている。アキくんにとって、物理的にも精神的にも。 「このまえさ、うちのお父さん、ちょっとハゲてたね。お母さんも、しわが増えてた。くらげだと、もともとハゲてるし、肌もぷるぷるだから。見た目年とらないね。ラッキー」  アキくんは笑った。ひいているような笑顔だった。  目が覚めると、水中を漂っていた。  泳いでいる、ではなく、漂っている。くらげの体をまだまだ思いどおりにできないわたしは、ふよふよと漂うことしかできない。  にごった視界。なまぬるい。なまぐさい、水のにおい。プールからあがってすぐの、あの感じ。いまはくらげなはずなのに、ひどく息苦しい。  ぶよん。体がなにかにぶつかる。肌色の壁。それが、行く手を阻んでいる。  水の中には、人間がいた。ふたり。せまい水槽に、みちみちと。重なるように。  ひとりはアキくんで、もうひとりはあの女だった。アキくんとおなじ会社の、仲がいいっていってた後輩。  水の中で、ふたりはキスをしていた。舌と舌を絡める、いまのわたしとアキくんには、できないキスを。  人間の手と手が、互いの体をまさぐり合っている。そのたびに波紋がうまれて、わたしは水底に突き落とされた。  ぎゃはは。アキくんの、機嫌がいいときの笑い方。水中でこだまする、ぎゃはは、ぎゃははは。  耳を塞ごうにも、耳がどこにあるのか。しかたがないので、体をぐるんぐるん旋回して、音を分散させる。  ぐるぐる、ぐるぐる。  じぶんがどこにいるのか、わからなくなった。
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