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ひぐらしの鳴く声。焼けつく西日。ベランダで、アキくんが洗濯ものを干している。
夕日に染まる海を、アキくんといっしょに見たことがある。あの日のわたしは、おばあちゃんになってもアキくんとずっといっしょにいられると、信じて疑わなかった。
アキくん、痩せた。
くたびれた横顔を見ていたら、目、らしきところが、じんとした。驟雨がくらげのほほに降る。泣いていることを悟られないよう、水槽の中をぐんぐん泳ぐ。
「お。なんか元気じゃん」
洗濯ものを干し終えたアキくんが、水槽からわたしを掬いあげる。濡れタオルで、わたしのぽよんぽよんの体を拭きはじめた。
「アキくんに体拭いてもらうなんて。わたし、おばあちゃんになったみたいね」
アキくんは、ふ、と笑った。三日月型になる、魚の口。
「いいよ。おれは。どんなあなただって」
つんつん。アキくんの尖った指先が、わたしをつつく。
たぽん、とぷん。音がして、アキくんが、ふ、と柔く笑う。
「この音、好き。なんか、たおやかで」
たおやか。たおやか、か。ふふ。わたしはうれしくなる。くらげダンスを踊ると、水の中じゃなくても踊れんの? すげー、と、アキくんは、ぎゃははって笑った。
あした、インリーフに行きますって、いおう。あしたは、最後の通院日だから。きっと、今後のことを訊かれる。アキくんはきっといわない。いえない。だから、わたしがいおう。
チャンスが三回ってのは、絶妙。それなりにゆっくり、考えられるけど、だらだらは、できない。わたしのような人間でも。素早く、丁寧に考えられる。あの医者も、やっぱりやさしいのかもしれない。
わたしはあした、海になる。いつか、もし、アキくんががんばれなくなって、くらげになったとき。くるっと包みこめるような、おおきくて、あたたかいものに。
あのさあ。アキくんがいう。
「くらげのときは、人間を休むときなんだ。だからいまは、ゆっくりおやすみ」
深いまどろみの底。アキくんの、やすらかな寝顔。くらげの手をにぎる、骨ばった人間の手。
とうめいな水。ゆらゆら。アキくんの髪が、しなやかにゆらぐ。
水槽のガラスに反射する、満月のようなうつくしい姿。そのすぐそばで、魚が一匹、寄り添うように泳いでいる。
虹色の水中にこだまする、ぎゃはは、ぎゃはははは。なんだかとても、楽しそう。
あと、もう少しだけ、いっしょに泳いでみたくて。
胴をひらいて、ぐん。遊泳した。
了
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