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序 華の叛乱
それは、誰の目にも想定外の出来事だった。
* * *
「イゾルデ!! そなたっ……、何を!?」
――ジャキン。
きらびやかな光を振りまく繊細なシャンデリア。着飾った人びとがひしめく、磨き抜かれた貴石をふんだんに用いた大ホール。蜜蝋色に華やいで暖かかった空気は、にわかに凍りついた。
人びとの視線は上座に釘付けだ。
色合いの異なる石をステンドグラスのように組み合わせたうつくしい縦長の壁を背景に、城の主たる老将軍が、二の句を継げずに固まっている。
相対するのは、すらりとした令嬢。
名はイゾルデ。この地方ならではのデビュタントに相応しい、シンプルながらも上質な白銀の衣装をまとう麗々しい少女だが、長手袋に包まれた繊手は大人しく体の前で組まれたりなどしていなかった。
なにしろ、襟足から垂れた長い紺の髪を手に絡め、あり得ない潔さで切っている。
扇の内側に細い鋏を隠し持っていたということは、この会場内で彼女だけがこの事態を想定していたのだろう。
――ジャキッ。シャキン。
イゾルデは醒めた黒瞳に抑えきれない怒りを滲ませ、唇を引き結んでいる。
何も喋らない。切断音が響くたび、月夜色に染め上げた絹糸のような髪が一房、二房、惜しげもなく切り放たれ、白いドレスの布地を滑り落ちてゆく。
そうして花が綻ぶように、齢十五には不釣り合いなあでやかさで微笑んだ。
「閣下。手が滑りました。ご覧のとおりの粗忽者ゆえ、今宵のデビュタントは延期といたしましょう。手当たり次第の見合いとやらも」
「イゾルデ」
「お叱りは如何ようにも。では、失礼」
完璧な一礼を披露し、退出を願い出る令嬢――前公爵夫妻が遺した一粒種に、居合わせた貴賓客は黙って道を開けた。
ちょっとした混乱のるつぼではあったが、誰も非難めいたことは漏らせなかった。
見目よい令息たちは、皆、ぽかんと口を開けている。
(まったく。大叔父様も、馬の品評会じゃないんだから、何もこんなに集めなくとも…………予想通りとはいえ、騎士が多いわね。ランドール伯子息……グランツ子爵。嘘でしょ、独身なのはわかるけどオーウェン先生まで)
顔見知りの若者はたいてい、なぜか痛ましい表情をしている。その気遣いと彼らなりの覚悟や立場を考えながらも、歩みは止めなかった。
大扉の前で流れるように振り向き、再度一礼。おろおろする典儀官の脇をすり抜け、灯りの連なる通路へと抜け出る。
もう、振り返らなかった。ぐっと唇を噛む。
(ユーハルト。彼さえあの場にいてくれれば。私だって)
惨めさも少々。大半はわからず屋の大叔父への苛立ち。それでも叩きつけた啖呵に後悔はなく、みずからを哀れんで泣く謂れもない。意識して前を向く。
背後のホールでは、今さらながらのどよめきが生まれていた。
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