レンズの向こう

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 翌朝、日直だった私は早めに学校に来た。  日直は職員室前に設置されている各クラスのロッカーから、配布物と日誌を教室まで運ぶ仕事がある。まあ、真面目にやる人は少ないけど。  私も忘れてる日がたまにあるけれど、今日はたまたま覚えていたのと、昨日進まなかった数学の勉強をしたくて、早く登校したんだ。  靴を履き替えて職員室を周って教室へ。だれもいない――と思ったら、幸也くんが着替えていた。上半身は体操服を着ているけど、下半身は――。  黄色いバナナがしきつめられたパンツがチラリと見えた。 「ご、ごめん!」 「ん? ああ、もう着替え終わるから良いよ」  私は慌てて教室から出たけれど、見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と、幸也くんのパンツを見てしまった恥ずかしさでしゃがみ込んでしまった。  バナナ柄のボクサーパンツだった。一週間は忘れられない……。  幸也くんはかくれんぼのように「もういいよー?」と明るく声をかけてくれた。 「うう、ホントにごめん……」 「別にパンツぐらい、女子ならしょっちゅう見てるだろ?」  それは体育の授業前後の着替えとかを言うのだろうか。女子は男子を追いだして着替えるけれど、男子は女子の前でも平気で着替える。少なくとも私のクラスは。  でも、男子大勢のパンツと、幸也くん一人のパンツでは、重みがちがう。  パンツは軽くても、見てしまったという気持ちの重みが、ちがうんだ。  それがなぜ、伝わらない……。 「ヘンなの」  幸也くんは私の手から配布物を受け取ると、代わりに教卓に置いてくれた。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」  そう言って幸也くんはまた私の方へ近づいた。  私はパンツを見てしまった罪悪感で思わずのけぞってしまった。その様子にあからさまにショックを受ける幸也くん。一歩退いて「オレ、くさい?」と沈んだ声でつぶやいた。 「あ、いや、そうじゃなくて……」 「じゃあ、なに?」  なんで伝わらないの、この気持ち……。  私はゆっくりと幸也くんの顔を見る。彼はいつのまにか、おもしろいものを見るようなキラキラの目で私を見ていた。そんな純粋な目で私を見ないでほしい……。 「それよりさ、原田にお願いがあるんだけど」 「……なに?」 「お願いって言うか、約束?」 「いいよ、何でも言って!」  今ならどんなお願いでも聞いてあげるよ……精神的に追い詰められていた私は、そんな意気込みでうなずいた。  でも、幸也くんのお願いはあっけないほど簡単なことだった。 「オレが普段は視力が悪いこと、あとメガネをかけてること、しばらく誰にも言わないでほしいんだ」 「……そんなこと?」 「今、オレがメガネ属なのを知っているのは、原田だけだ」 「別に、それぐらい良いけど」  肩透かしを食らったような気分の私は、ヘラッと笑って見せた。 「ありがと」 「そんなにメガネを知られたくないの?」 「メガネは、ダサい――姉の呪いは簡単に解けないんだぜ」 「まあ、お姉ちゃんに言われた言葉って、けっこうクるものあるもんね」 ――キライなんじゃなくて、コワいんでしょ? ――初恋は遅いほど、自覚するのが怖いのヨ  ふと、昨日のお姉ちゃんの言葉がよみがえってしまった。私はブンブンと頭を左右に振った。追いだせ追い出せ。 「やっぱり姉を持つ者同士、分かりあえるんだな……」  幸也くんは幸也くんで、何だか悩みが深そうだ。 「幸也くん、相談があったらいつでも聞くよ」 「オレも。なんか言われたら、愚痴ぐらい聞くぜ」 「ありがとさん」  私は幸也くんの肩をポンポンと叩くと、自分の席に着いた。 「そう言えばなんで今日は早いの?」  幸也くんにそう尋ねると、彼は「あっ!」と何かを思いだしたように飛び上がると、慌てて教室を出ていった。何だったんだろう、と彼のつくえを見ると、ゼッケンとバスケットボールが置いてあった。もしかして部活の朝練だろうか。 「部活の朝練だったんだよ!」  いつの間にかもどってきた幸也くんが、つくえの上のボールとゼッケンを手に取ると、また教室を出ていった。なんと忙しないのだろう。 「あ! 言い忘れてた!」  また彼はもどってきた。 「原田、日直えらいな! がんばれ!」  ニコッと幸也くんは笑って言った。  私は思わず「え?」と笑顔が固まってしまった。  私は別に、特別なこと、してないのに……。 「じゃ!」  幸也くんは私の返事も待たずに、走りだしてしまった。その勢いに引っ張られるように、私は慌てて席を立って教室を飛び出た。 「こ、幸也くん!」 「うん?」  階段の踊り場で急停止しした彼に、私は言葉がすぐに出てこなかった。 「なに? 行かなきゃいけないんだけど」  私は「えっと……」と言葉に詰まった。  ――今、言いたいことは―― 「約束、守るね。朝練、がんばれ!」  私は精いっぱいの笑顔で言うと、両手を握ってガッツを送った。  幸也くんは「おう!」と笑顔でうなずくと、階段を二段飛ばしで駆け降りて行った。 「こらぁ、藤野! 遅刻の上にろうかを走るとは、何事だぁ!」  体育の先生の怒鳴り声が聞こえてきた。思わず私はお腹を抱えながら声を押し殺して笑った。 (もう、幸也くんって、おかしいなあ)  私は口に手を当てて、笑い声がろうかに響かないように教室に戻った。  自分の席について、カバンから筆箱を出す。日誌を開いて書きこもうと思ったけれど、また幸也くんの笑顔を思いだして笑ってしまった。 「もう、笑いすぎてお腹すいちゃう。給食待てないよ」  幸也くんのせいで。  笑いすぎて目尻になみだがうかんできた。それをゆっくり人差し指で拭う。 「あーあ、幸也くん、好きだなあ」  思わずつぶやいてから、ハッとしてしまった。
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