2人が本棚に入れています
本棚に追加
夏休みも目前の七月、最初の日曜日。
梅雨の雨はシトシトジメジメで、本当はクーラーの利いた家にいたかった。再来週には定期試験もあるから、ちょっと不安のある数学の問題でも解いて過ごしたかった。
なのに、そんな日に限ってお姉ちゃんが傘を持っていくのを忘れて部活に行った。
メールには〈だって朝は降ってなかったし、天気予報のお姉さんも折りたたみ傘があれば良いって言ってたんだもん〉って書いてあったから「折りたたみ傘があるんじゃん!」って返したら〈友だちに貸したのを忘れてたから、持ってきてない〉ってさ。お姉ちゃんは県内でも進学校で有名な高校に通っているはずなんだけど、バカなのかな? と内心で毒づきながら、お母さんに内緒のお駄賃をもらったことだし、渋々駅まで傘を持ってお姉ちゃんの迎えに行った。
〈○○分の電車に乗ったけど、雨で遅延してるみたい〉って連絡が入った。
最寄りの駅は小さくて、改札口を出ればもう屋根はない。私は傘をさしたまま、ぼんやりとお姉ちゃんの帰りを待っていた。
すると、ひとりの男の子が閉じた傘を右手に、差した傘を左手に持ってやってきた。まるで鏡写しの私みたいだなあ、と思ってふとその子の顔を見て「あっ」と声に出してしまった。
「幸也くん? あっ! あの、ごめんなさい、人違い――」
私はすぐに(違う!)と気づいて頭を下げた。するとクスッとその男子は笑った。
「人違いじゃない、藤野幸也で合ってる」
「でも、幸也くん、メガネしてる」
「え? ああ、そっか。学校じゃメガネ、しないもんな」
そう、幸也くんは黒縁のメガネをしていたんだ。
いつもは裸眼だったハズ。それなのにメガネをしていたから、他人の空似というか、人違いだと思っちゃったんだ。
雨の湿度で曇ったメガネを外して、幸也くんはニッと笑った。
「学校の奴らには内緒な?」
「え、なんで?」
私は目を丸くした。秘密にする理由が分からなかったからだ。
「いつもはコンタクトなんだけど、それを言うと〈かっこつけ〉って思われるんだよ」
「そういうもんかなあ?」
私は首をかしげた。まあ、中学生でコンタクトレンズって、少ない方かも? とは思った。けれど、クラスにも学年にも、何人かコンタクトレンズの生徒はいたはずだ。
「じゃあ、メガネをつけてれば良いのに」
すると幸也くんは思いっきり苦そうな顔を見せた。
「メガネは、ダサい。今だって、急に呼び出されたから、コンタクト付ける時間もなくて、メガネをしたまんまだったんだよ」
そういう幸也くんはたしかにメガネを敵視している様子だ。
「ちぇっ。アネキのバカ、折りたたみ傘を持っていけって、オレが今朝ちゃんと言ってやったのに、忘れてったんだぜ? ありえないだろ」
「あは、私と同じ。私もお姉ちゃんが傘を忘れたんだ」
「なんだ、原田も姉ちゃんがいるんだ」
「いるいる。うざいよね」
幸也くんは「分かる分かる!」と激しく上下に顔を振って同意した。
「本当に、うざい! ……でも、勉強教えてくれたり、たまに役立つんだよな」
「あはは、それそれ!」
幸也くんは拭いたメガネを掛けなおした。レンズ越しの目が大きくかがやいた。
「幸也くん、メガネの方がかっこいいんじゃない?」
私はふとそんなことを言った。考えもせず、思ったことをそのまま口にしていた。
幸也くんは「は?」と口をポカンと開けて、まるで初めて聞いた英単語に戸惑うような顔を見せた。
「マジで? ……でも、アネキがさ、言ったんだよ。〈アンタ、顔は悪くないから、メガネは掛けるな〉って」
私は「なにそれー」と笑った。
「そうなの? でも、意外性があって、良いんだけどなあ」
「意外性ってなんだよ」
プッと彼は吹きだして笑う。思わず手に持っていた傘がすべった。
「あっ」と私が宙でつかむと、「ナイスキャッチ! ありがとな」と言って私の手から傘を受け取った。そのときふと近づいた顔が、やけにかっこよく見えた。
メガネ効果?
普段、裸眼の幸也くんがメガネをしているから?
かっこいい……?
「あ、幸也!」
「美香ぁ、ありがとぉ」
黄色い声が降ってきた。ふり向けば、階段を駆け下りてくる二人の高校生の姿があった。茶髪でロングのちょっとギャルな感じが私のお姉ちゃん。すると、となりに並んでいる黒髪ショートの高校生が、もしかして幸也くんのお姉さんかな?
二人とも違う制服を着ている。けれど、仲が良さそうな雰囲気だった。
「あれ? 二人は知り合い?」
「あはは、姉弟で同級生だったのかな」
傘を受け取った姉たちは、なんだか楽しそうに笑ってる。そして聞いてもいないのに「私たち、中学が同じだったんだよ」と私の姉が答えた。
「高校は別だけど、方向は一緒だったからね。たまたま帰りに会ってさ」
二人は傘を開いて距離ができても、まだキャッキャとはしゃいでる。
「ほら、お姉ちゃん帰ろう。傘を差しても無駄なぐらいびしょびしょなんだから」
私がお姉ちゃんのそでを引っ張る。それはもう、制服がからだに貼りつくぐらいびしょ濡れだった。これは早く家に帰って乾かした方が良い。それは幸也くんのお姉さんも同じだ。
「じゃあ、さっちん、またね!」
「連絡するよー」
自由奔放な姉たちについて行くように、私と幸也くんも自然と分かれた。
最初のコメントを投稿しよう!