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第2話 王道の選択
たい焼きは餡よりカスタードクリームが好き。ショートケーキより、ロールケーキの方が好き。ハンバーグはビーフ100%より、合い挽きの方が好き。
「舞香は王道を選ばないよね」
大学で友達に言われた言葉。女子会の後半は本音が混じる。
女子会は好きな芸能人、好きな男の話、彼氏の話で盛り上がる。舞香は彼氏がいないからサークルで誰がいいかを言わされる。
完全な幽霊部員だが、バドミントンサークルで好きになった男がいた。彼に対してすでに興味を失っていたが、酔いも回り、好きな男について饒舌に話すと、反応はみんな同じだ。
「良いと思うけど、どうして?」
その反応は「悪くはないけど、それはないな」というのが見え隠れする。舞香の意見は完全に外れているわけではなく、「良いと思うけどこっちの方がいいでしょ」と思われるのが常だ。
バドミントンサークルには大学でも有名なイケメン、渋沢という男がいて、渋沢がカッコいいという話で皆が盛り上がった。舞香が好きだった男に、誰も興味がなかった。
「普遍性ってなんだろう」って誰かが言っていたけど、舞香にとってそんなことはどうでも良かった。
今日はバイトの日。しかも黒島と同じ出勤の日だ。黒島の格好良さは舞香の中では不変であり、黒島の顔を否定する人の目は節穴だと思っている。
愛想悪い挨拶も、あの顔で言われたらイチコロだ。綺麗な顔にはなぜこんなに力があるのだろうか。その顔を見たら気持ちが高揚し、夢を見てしまう。同じ人間なのだから、同じ部位があって、特別な違いはない。
だが、黒島は綺麗な顔のわりに人気がない。
このコンビニで5年働いているフリーターの市川優花は、黒島は顔が綺麗なだけで、全然格好良くないと言う。遅刻ばかりして、ヘラヘラ笑っている坂本の方が格好良いと言うのだから、好みの違いに驚いてしまう。市川は最近、彼氏と別れたと言うから好みが違うことに安堵した。市川はショートボブが似合う美女だ。ライバルは少ない方がいい。
坂本の髪はいつもくしゃくしゃで、前髪が目にかかっていて舞香はいつも気になってしょうがない。どちらかと言えば、舞香にとっては坂本は不快な存在だが、坂本の人気は高い。母の涼子は「坂本君は可愛くていいね」と舞香に一押ししていたことがあった。店長に関しては「あかんやつやけど、ええやつ」と坂本に対してよくわからない評価を与えていたが、気に入られているのはわかった。
坂本の目は小さくないが少しつり目で眉は濃くて男らしい顔立ち。坂本はよく笑うためかほうれい線がくっきりしており、いやらしい顔に見えるのが舞香の本音だ。
コンビニのバックルームのロッカーは交代で共用しているが、男性陣はほとんど使っていない。舞香はロッカーに小さな手提げ鞄を入れた時、ブーン、ブーンと音が鳴っているのに気付いた。返品の雑誌を入れた段ボールの上に置いてあるリュックからだった。それは黒島のリュックだ。
黒島がバックルームに入ってきた。トイレに行っていたのだろうか。まだ制服に着替えてなかった。
「おはようございます」
互いに挨拶を交わすが、舞香の大きな声に対し、黒島の声は小さく、相変わらずの無愛想だった。
「携帯鳴ってたみたいだよ。彼女から?」
舞香は黒島に彼女がいるかも知らなかった。さりげなく聞けたが、舞香は緊張して返事を待った。黒島は何も言わず、スマートフォンを取り出して確認してから、何も言わないでバックルームを出て行ってしまった。本当に彼女からだったのだろうか。私に知られたくなかったのだろうか。
「彼女になんか催促された?廃棄あったら持って帰れとか」
舞香はいつになく積極的だった。しかし黒島の顔は見ることはできない。作業しながら黒島の言葉を待つ。冷凍庫から唐揚げを取り出してフライヤーのカゴに入れる。時間を入力してからボタンを押すと、カゴが下りて行く。油の中でジュワジュワと音が鳴っている。
「別れたんだよね。でもたまに連絡が来る」
舞香は彼女がいたというショックと別れたという安堵で、落ち着かない気持ちになった。黒島は結局それ以上話さなかったので、詳細がわからない。彼女からどんな連絡が来ていたのか。今でも会っているのか。
帰り際、店長に夏休みの予定を聞かれる。上京してきた大学生たちはシフトに入らず、帰省してしまうため、シフトを埋めるための相談だった。地元の舞香にできるだけ入って欲しいとのことだが、黒島は地元が静岡のため、シフトに入らない。舞香のやる気は一気に削がれてしまうが、そもそもバイトの目的は違うことにある。あることをするためのお金稼ぎ。
毎日見るインターネットでは、綺麗が溢れている。憧れのアイドルは加工されているとはいえ、マネキンのように美しい画像はいつも舞香の気持ちを奮い立たせる。
「そのアイドルって整形してるんでしょ」
舞香の友人は揶揄するように言ったけれど、舞香はもちろん知っている。整形して、美しく変身し、あの輝くような笑顔ができるのであればそんなに素晴らしいことはない。舞香は気持ちが落ちると猫背が酷くなる。コンプレックスの塊だった中学生、高校生の時は笑うことが少なく、顔が固まっていると思うほど、顔の筋肉が硬かった。なぜ私は美しくないのか。中学生の時、同じクラスの1番人気の女子が舞香の好きな男子と付き合うことになった時のショックは今でも覚えている。綺麗で可愛いは全てを持って行く。美しくない自分のその想いは叶わない。あの子のように綺麗であれば、あの人の手を握ることができたかもしれない。
人の心を掴むのはもちろん容姿だけではないことは舞香もわかっている。容姿に自信を持てない人が、心に余裕を持つのは難しい。惹きつける容姿に、自信に溢れた笑顔には勝てない。
舞香は毎日美容整形に関することを検索している。あのアイドルが救いの道を教えてくれた。
だけど黒島の言葉が頭から消えなかった。
「綺麗というか、逆に怖い」
黒島のいないコンビニで夏が終わると思うと、舞香は憂鬱な気持ちになった。
ペットボトルの品出しから、ダッシュでレジに戻ることの繰り返し。今日はいつもよりはるかに来客数が多い。
今日は町内会で小さな祭りをやっている。駅前には店名や企業名が書かれた献灯ちょうちんが並んで吊るしてあり、太鼓の叩く音が、舞香の働くコンビニまで届いた。
黒島は明日から帰省してしまうので、少しでも多く話したかったが、忙しくてそれどころじゃなかった。浴衣姿のカップルも多く、舞香は少し寂しい気持ちになった。
いつも夜勤に入っている店長も夕方からシフトに入っており、品出し専門のオーナーの息子、中野も夕方から入っている。この日は涼子が朝から夕方までシフトに入っており、帰る時はだいぶ疲れていた。舞香と黒島は22時までの勤務で、祭り客が大量に流れてくる時間帯だった。
「店長、早く品出ししないと空っぽになりますよ」
舞香は、ゆっくり動く店長に思わず言ってしまったが、店長は変わらずマイペースだった。
「ええよ、ええよ」
こんなに忙しいのに、坂本は遅れずに来るだろうか。舞香は坂本の遅刻癖を店長に相談したこともあったが、「うん、まあ、ええんちゃう。無事来てくれたし」と寛大に坂本を許していたことを思い出し、不安になった。店長が甘いのは坂本だけでなく、全てに甘かった。
品出ししかできない中野に関しては、スタッフの間ではよく問題になっていたが、「そんな人がおってもええんちゃう。ええよ、ええよ」と言って、問題そのものを無くしてしまった。 店長に対しては最初、寛大で優しい人だと思っていたが、最近は適当で、何も考えていない男であることに気付いた。
舞香は店長との過ちを後悔しているが、店長以外知るはずがないし、店長が言うわけがない。舞香はそう言い聞かせて店長の方を見ると、お腹を押さえてトイレに行く店長の姿が見えた。店長はお腹が弱く、トイレに駆け込むことがあったが、タイミングが悪かった。太鼓の音が止み、一段落ついた祭り客が、コンビニに大量に入ってきた。レジには店を一周するほどの客が並び、いつも気怠そうにしている黒島が必死な顔でレジ対応をしていた。暑い日だったが、唐揚げなどのホットスナックの注文も多く、時間もかかる客もあり、苛立つ客は「遅いぞ」と叫ぶ人も現れた。
黒島は何度も、バックルームのチャイムを鳴らした。バックルームにはペットボトルを品出ししている中野がいる。
「ホットスナックを入れるくらいできるだろ」
黒島の声は届かなかったのか、中野はレジに来なかった。
待てなくなった客が、持っていた商品をそのまま棚に全て置いて、帰って行く人もいた。
「すいません、すいません、お先にお待ちのお客様こちらのレジにどうぞ」
そう言って店長がレジに戻ってきた。
祭りも終えて、客も少なくなった時、黒島がバックルームの冷蔵庫を勢いよく開けた。
「お前、どうしてレジの応援来ねえんだよ!ずっとこれやってて店回ると思ってるのか!これしかできねえならお前なんかいらないんだよ!いる意味ねえよ」
中野の顔が見えた。中野は涼しい顔で立っている。微動だにせずじっと立っていた。神経の太い男だと舞香は思った。
「いらない人なんていない。そんな人いないぞ」
店長は中野に注意するのではなく、黒島を注意した。舞香は店長の対応に納得がいかなかった。今日に限らず、中野とシフトに入った日は仕事量が多くなってしまう。黒島の怒りの目が店長に向いた。
「店長、あんたおかしいよ!迷惑掛けている人かばって、待たせている客のことも考えろよ!このことはオーナーに言わせてもらう。卑怯とか思わず、改善できるよう考えてくれよ」
店長はうん、うんと何度も頷いて、「悪かった」と言って、黒島に頭を下げた。
中野は表情を変えず、何でもないような顔をしている。
黒島は退勤時間になるとすぐに帰ってしまった。舞香は疲れて思わず溜息が出た。バックルームで休憩用の丸いスツールに座っていると、後ろに中野が立っていた。顔を見ると大粒の涙を流していた。
「すいませんでした」
そう言ってバックルームを出て行った。
「中野さん、泣いてました?」
そう言って坂本が入ってきた。今日も遅刻だったが、今日はそんなことどうでも良かった。
廃棄処分のカゴを見たら、今日は何も入っていなかった。予想以上に売れたのだろう。自腹で、パンでも買って帰ろうと思ったけど、舞香の好きなチョコクロワッサンは売り切れていた。
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