第1話 正解の顔

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第1話 正解の顔

「マネキンみたい。綺麗というか逆に怖いかも」  遠藤舞香のスマートフォンを覗き込んでそう言ったのは同じコンビニで働く、イケメン大学生だ。  舞香は心の中で唸った。舞香の憧れの女性アイドルが怖いとその男が言うのだから。 「お前の顔もたいがいだぞ。伊勢丹で見たマネキンとそっくりだ」  そんなツッコミを入れたくなるほど色白で、肌が綺麗な男、黒島慎二は無愛想で憎たらしい。身長は170cmくらいで高くはないが、細身で足も長く見える。舞香は黒島に「可愛くないなあ」と仕事中に何度も言っているがもちろん本音ではない。一つ年下の黒島が可愛くて、時給の安いこのバイトを続けようと思えるくらいだ。    舞香は家から自転車で5分、歩いても15分のところにあるコンビニで働いている。家から1番近いコンビニは駅前にあったが、そこで働こうと思えなかった。駅前のコンビニはいつも混んでいて忙しそうに見えたからだ。楽したい舞香には大きな理由だが、家の隣人がよく使うコンビニは避けたいというのも重要だった。  サンドイッチを後ろに陳列し、ペットボトルを冷蔵庫に補充しながら、舞香はあのために頑張るのだと、奮い立たせている。目標がなければバイトなどしていないと思うが、手にしている500mlのペットボトルがいつもより重い。黒島の言葉が引っ掛かっているからだ。 「マネキンみたいに綺麗って最高じゃない」  冷蔵庫裏で舞香はひとり呟いた。    チャイムが鳴った。  バックルームのスタッフを呼ぶチャイム音は、黒島と入る日はいつもの倍の回数で鳴る。黒島は少しでも客が並ぶと呼び出しボタンをすぐに押すからだ。舞香は黒島はへタレだと他のスタッフに言うが、チャイム音が鳴ると足が軽くなる。  駆け足でレジを開けて、接客。後ろに並んでいたのはカップル客だけだったので、客はすぐにいなくなった。 「サンキュー」  黒島が低い声で言った。舞香は軽くお辞儀してバックルームに戻る。ガチャガチャと勢いよく冷蔵庫の補充を再開。さっきよりペットボトルが軽いのは気のせいか。  楽だろうと思って始めたコンビニバイトが思っていたよりきつくて、何度も辞めようと思ったが、黒島の一言でもう少し続けようかなと思える。無愛想な黒島の言葉に何故そのような力があるのか。欠伸(あくび)をしては、気怠そうに立っているこの男に何故惹きつけられるのか。  黒島の真っ直ぐで綺麗な鼻筋は、鼻尖(びせん)まで無駄がなく美しい。目はくっきりした二重で、顔は小さく、顎はややシャープだが、嫌味ではない。舞香はこの顔に魅了されていることを自覚しているが、意識して黒島の顔を見ていると不思議に思う。顔立ちで、何故こうも印象が違うのか。黒島はきっと薄っぺらい男だ。そんなのはわかっている。わかっていても魅力的に見えることに考えさせられる。  綺麗な顔に生まれた人は私と人生が違う。  舞香はそう思っているが、それを否定する人がバックルームに入ってきた。 「おつかれさまです。今日は暑いですから帰りは気をつけてくださいね」  退勤する黒島に挨拶する中年女性は、舞香には挨拶せず、小さく手を振っている。  ずっと笑顔のままレジに入ったこの女性は舞香の母、涼子だった。  涼子は先月入店したばかりの新人だ。舞香は今でも同じコンビニでバイトすることを嫌がっているが、涼子はあまり気にしている様子はない。 「制服姿かわいい、写真撮らして」  涼子はバイト初日で親バカを発揮して、舞香の制服姿を何枚もスマートフォンで撮影していた。  しばらくすると小柄で小太りの男性がバックルームに入ってきた。男は30代くらいに見えるが舞香と同年代のスタッフだ。男は制服に着替えるとすぐに舞香が作業している冷蔵庫の扉を開けた。男は舞香の目を見ずに挨拶すると、補充するペットボトルの箱の配置を移動させている。舞香が取りやすいと思って置いたペットボトルの箱は一番遠くに配置された。いつものこととは言え、舞香はモヤっとしてその場を出る。  男は中野進。オーナーの息子と舞香は聞いている。オーナーは全く店に顔を出さないので、実感はないがオーナーの息子と聞くと文句が言えなくなる。  中野は商品の補充をずっとしている。舞香はこのコンビニでバイトを始めて半年以上になるが、中野がレジを打っているところは見たことがない。中野は商品の補充しかしないスタッフだ。  舞香と涼子が並んでレジに入ることは滅多にないが、今日は黒島がいつもより早く退勤するため、ヘルプの涼子と舞香が一緒にレジを担当することになった。舞香は極力涼子を避けていたが、夕方以降、店は混み始めるので、忙しいと気にする暇もない。  夜10時前に店長が出勤。店長の澤田正はガタイも良く、短髪で、現場仕事にいそうな風体だ。年齢は41才とみんな知っている。 「バカボンのパパと同じ41才やねん」  エセ関西弁でみんなに言って回っているからだ。  その後に走ってきたのが坂本翔太。遅刻常連男。彼のせいで舞香の退勤はいつも遅れる。 「9時半に目覚ましセットしたけど、セットできてなかったみたいで」  坂本は言い訳を必ず言うが、どうでもいいから早く代われと舞香はいつも思う。  今日は涼子がバックルームで一緒に帰るのを待っている。涼子はパンパンに膨らんだエコバッグを手にしていた。バッグの中身は廃棄処分のパンやおにぎりだろう。 「そんなに持って帰っても食べないでしょ」  涼子は首を振って、「食べるよ」と言う。  呆れて舞香は廃棄処分するパンや弁当が入ったカゴを見た。一番上にチョコクロワッサンが見えた。 「これ入れといてよ。私が好きなやつじゃん」  涼子は首を振って、大きな声で語り出す。 「これは本当のクロワッサンじゃないから。クロワッサン好きの私は許せないの。舞香ちゃんは三日月型のクロワッサンを食べてほしいの。マーガリンをたっぷり使った最高のクロワッサン。駅前のパン屋で売ってるから」  涼子はパン好きで、強いこだわりがあった。クロワッサンに関しては特別うるさい。  バターを使用し、パリパリのチョコレートが入ったクロワッサンに涼子は憤慨していたが、舞香は正直こちらの方が美味しいと思っている。涼子の話を無視して、自分の鞄にチョコクロワッサンを入れた。  舞香と涼子は、スポーツ新聞を読んでいる店長に挨拶してバックルームを出ると、レジ前に立っている坂本が手を合わせてお辞儀している。謝っているつもりかもしれないが、毎回なので舞香はそれを無視した。涼子は何度も坂本にお辞儀をしてから店を出た。 「黒島君やめた方がいいよ」  唐突に涼子が言う。舞香は歩きながら飲んでいたペットボトルを落としそうになるが、実際は落とさない。気持ちは手からペットボトルが滑り落ちているが。 「何言ってんの。いつもあいつ不貞腐れてるじゃん」 「舞香ちゃんはいつも少しズレた男の子好きになるから。ほら中学生の時好きだったあの子なんて言ったっけ。いつも学校休んでた金髪の男の子」 「もうやめてよ、面倒くさい」 「あなたは気付いていないけど、本当に可愛いのよ。つまらない子と付き合わないでね」  舞香は勘弁してほしいと思うけど、涼子は本気のようだ。  綺麗に生まれてきたかった。憧れのアイドルのように綺麗で、みんなの憧れになりたかった。そんなことは無理であることを舞香は自覚している。世界には綺麗な女性が溢れている。インターネット上で見る彼女たちはあまりにも綺麗で、舞香は鏡の前で絶望する。絶望するほど綺麗で、輝きを放つアイドルに希望を見い出す舞香は矛盾している。  舞香は芸能界に憧れているわけではない。アイドル活動がしたいわけでもない。皆の憧れになるほどの美貌がほしいだけだ。女であれば綺麗でありたいと思うのは当然のことだろうが、舞香は幼少の頃からその憧れは強かった。しかしその思いが強いために人に話すことはできず、まわりより積極的に努力することができなかった。  無責任に可愛い、綺麗だと言う涼子を心底恨んだ時もあったが、二十歳(はたち)となった今では、あまりにも母が可哀想ではないかと思うようになった。  舞香の団子鼻、奥二重、細長の顔は、涼子の顔の特徴そのままだ。それを否定したら涼子が悲しむのは当然だろう。しかし、舞香はそれを正したかった。正解があるのかわからないが、自分の顔が正解と思えなかった。  黒島はアイドルの写真を見て、「綺麗というか逆に怖い」と言った。それはどういうことか。私が綺麗になったら、あなたは私のことを好きにならないのだろうか。私の顔を正したら、皆は私に注目しないのだろうか。舞香は黒島の言葉がしばらく離れなかった。  舞香と涼子が家の扉を開けると、カレーの匂いがした。 「おかえり」  小さな声で迎えたのは舞香の父、(たけし)だ。  父の元気のない声に、舞香は心配になるが、涼子は気にする様子もなく、涼子の席に置かれたカレーライスをラップして冷蔵庫に入れた。  涼子はエコバッグから牛乳パンを取り出して、テーブルに置いた。  武は何か言いそうになったが、黙って部屋を出た。  そんな弱い父を舞香はこれまで見たことがなかったが、2ヶ月前から、武と涼子の支配関係が逆転した。  武は大人しいが、家事を一切しない父だった。涼子はたまにパートをする程度の専業主婦で、武と舞香に合わせた生活を送っていた。  武の帰る時間にきっちり合わせてご飯を用意する涼子は、武に対して強い態度をとったことがない。少なくとも舞香には記憶がなかった。  しかし2ヶ月前に事件が起きた。平穏な日々の遠藤家にとっては大きな事件だった。武が急に仕事を辞めたのだ。  武が涼子にそれを告白した時、舞香はリビングのソファで動画を観ていた。舞香を呼ぶ声がして、台所に行くと武が深く頭を下げていた。 「お父さん、仕事辞めたんだって」  涼子はその時困った顔をしていた。辞めた理由を武が話さないからだ。  舞香は大学はどうなるのだろうと不安に思ったが、貯金があるから大丈夫だと言う。一安心して、武の顔をよく見るとだいぶ疲れた顔をしている。目に力はなく、焦点が合っていないように見えた。  舞香が台所の椅子に座ったタイミングでインターホンが鳴った。  涼子がインターホンモニターを見ると、武の直属の上司が映っていた。 「部長さんよ。何かあったの?」  武は酷く動揺して、身体を震わせていた。  部長は涼子に丁寧に挨拶すると奥にいる武に語りかけるように大きな声で話し出した。 「大丈夫です。遠藤君は何も悪いことをしていません。辞める必要なんてないです」  武は2階の寝室に入ってしまい、涼子は部長をリビングに案内した。 「実は会社に警察の方が調査に来まして、遠藤君が疑われたようです。しかしすぐに間違いだとわかったのですが、社内で変な噂が広がってしまいまして、遠藤君は辞表を出したのです」  部長は額の汗をハンカチで拭きながら、涼子に説明していたが、額の汗は止まる様子はなく、舞香はエアコンのスイッチを押した。 「主人は何を疑われていたのでしょうか」  部長は額を拭きながら、申し訳なさそうに話した。 「高校生との買春を疑われまして。後で、遠藤君と高校生は関係を持っていないことがわかったので問題ありません」  涼子は開いた口が塞がらないという言葉そのままの顔になっていた。 「主人は高校生と接点があったのでしょうか。どこでそんな疑いが出てくるのか、、、」 「遠藤君はコンカフェにたまに行っていたそうです。コンセプトカフェのことらしいですが、僕も詳しくないのですが、どうやらそこで知り合って連絡先を交換していたそうです。遠藤君とは楽しく会話するだけの関係で、肉体関係はないようです。他の客と、その高校生が売春をしていたそうです」  涼子は完全に固まってしまい、部長は慌てて補足した。 「コンカフェと言っても、いやらしいお店ではなく、今ではよくあるお店のようです。遠藤君は真面目なので、誰も知らないところで、何か話したいことがあったのかもしれません」  娘より年下の女の子に、父は何を話したかったのか。  舞香は心の中で唸るしかなかった。  部長が帰った後、涼子はブツブツと独り言を言っていた。 「どうせ度胸がなかっただけよ。小さい男なのよ」  舞香は初めて母の女の部分を目の当たりにした気がした。  武は結局そのまま仕事を辞め、涼子はバイトを始めることにした。決めたのはいいが、なかなかバイト先が決まらない涼子は焦って舞香に相談した。渋々、舞香は店長に聞いてみたら即OKの返事だった。店長の口癖はエセ関西弁で「ええんちゃう」だ。聞いた時点で、涼子が同じバイト先となるのが確定だった。舞香は今でもそのことを後悔しているが、今は涼子と武は距離があった方がいい。経済的にも涼子のバイトは賛成だ。  最近は何一ついいことがないと舞香は思ったが、武のカレーが意外に美味しい。  武のカレーには大きく切ったじゃがいも、人参、玉葱、茄子に豚肉が入っている。涼子のカレーは必ず牛肉のため、豚肉の入ったカレーは舞香には新鮮だった。 「お母さんも食べれば」  そう言おうと思ったが、牛乳パンにかぶりつく涼子の顔を見たら言うことができなかった。  
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