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プロローグ
清涼園に長姉からの手紙が届いたのは、長く暑い夏が終わりを告げようとしていた頃だった。
──ひさしぶりにみんなの顔が見たいわ。
武具姫として皇帝陛下に嫁いだ長姉は、嫁いでから一度たりとも清涼園に戻ってきたことはない。本人からの手紙すら稀で、【天気が良いわね】【星が綺麗ね】といった遠回しの書き方ばかりだ。
だが、今回はどうだろう。正規の配達員ではなく、荷馬車の主が運んできた手紙。あらためて見ても、あまりにも内容が直接的で、かつ震える文字に水で滲んでいる箇所がある。端々で擦れている赤黒い染みの正体は、恐ろしくて考えたくもない。
長姉に何かが起きている。それも、よくないことが。
「おばば様。わたし、お姉様にお会いしてきます!」
清涼園を司る老婆と手紙一枚挟んで向き合っていたわたし──武具姫・刀剣第三〇六号が大声を張り上げると、さらに大きな溜め息と嗄れた声が続いた。
「あんたならそう言うと思ったよ。あの子に一番可愛がられていたのはあんただしね。止めても聞きゃしないんだ、行くならさっさとお行き。ただし無理は禁物だよ、三〇六」
「はい!」
***
わたしはまだ知らない。
清涼園の外に広がる世界を。これから出会う人達を。
今のわたしは、まだ何も知らない。
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