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控室は試合の熱気の残滓が残っていた。興奮がもたらす汗の臭い。だがらんは全く余熱に酔えなかった。ただ姉が心配で、聖華女子プロレスの赤いTシャツを着たままパイプ椅子に座る。
「大丈夫だって、多分ちょっと酷い脳震盪だよ」
「りんは受けの名手だよ。姉を信じなさいよ」
同僚や先輩が次々と声をかけてくれる。
しかしらんの心は不安でいっぱいだった。
そうして二時間ほど経過したころだろうか、らんのスマホが振動した。『雨雪総合病院』と表示される。らんは汗ばんだ指で着信を受けた。
「りんさんの身内の方ですね」
落ち着いた男性の声がする。
「りんさんがお亡くなりになりました。お悔やみを申し上げます」
「そんな」
20歳を迎えたばかりのらんは、これ以上のことは理解できなかった。頭が理解を拒否していたのかもしれない。全身を冷たい汗が流れた。
大好きな姉。その遺体と面会した。あの快活で世話好きの姉はもういない。
らんは遺体にすがりついた。体温が下がり切り、人形のような感触しかない。顔には美しい死に化粧が施されていた。
経済的理由で、中卒で聖華女子プロレスの門を叩こうとしたらんを、
「私のファイトマネーで何とかするから」
と包み込むような優しさと、闘志の混じった目で宣言した姉はもう帰ってこない。らんは姉に逆らって高校を中退し、同じ聖華女子プロレスに入団した。
姉の気遣いを無下にしてしまった。
今更ながら、そんな後悔が湧きだしてきて、らんは姉の遺体にすがりついた。多分、一年分の涙を流した。
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