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「ご主人、お帰りなら声をかけてくださらないと。食事を温めなおすのに手間がかかるのですからね」
先ほどの甲高い声が聞こえる。
ナイは誰もいないところから聞こえてくる声に「ああ」と気のない返事をする。
「ひゃっ、なんですか? ご主人、それをどこから?」
やはり誰かいる。部屋を見わたすと一匹の大きな蛙が床を這っている。
「森で拾った」
ナイはどうやら蛙に向かって話しかけているようだった。
「またですか? 汚い娘ですね。血だらけでボロボロじゃないですか」
「そうか? 俺のスーイは汚くないと思うが」
「名前まで付けてしまったんですか? 困るなぁ、人の子なんて」
蛙の形をしていて、どうやって人の声を出しているのだろう? 不思議がっても仕方がない。命の終わりには不思議なことが次々と起こるものだと、村の言い伝えにもあった。
「石をくれると言っている」
「石ですか? 石って石ですよね? うーん、それじゃ、とりあえず手当をしてやらないと」
蛙は表情こそ蛙なので分からないが、吸盤のついた手で鼻のあたりを拭うしぐさをしている。
「仕事を増やさないでくださいよ。使いが荒いなぁ」
ぶつぶつ言いながら蛙は薄くなったり長くなったりしながら形を変え始める。
手だと思っていたところに目玉が移動してきて、腹だと思っていたところから腕が生える。ぐにゃぐにゃと形をかえてあっという間に、蛙色の髪をした少年の姿に変わった蛙は、慌ただしく私の周りを走り回って桶やら塗り薬やらを用意し始めた。
「私はね、ここでご主人の世話をしている蛙です。名はいりませんよ。変な縁ができたらたいへんだ」
蛙は、蛙らしく少し湿った手で私の手当てを始めた。
「森の外で火の手があがっていましたね」
何かを察しているのだろう、蛙はそれ以上何も言わなかった。
服を脱がされてお湯で拭われてペタペタと何かの薬を塗られる。
ちらりと私の胸に埋まっている石を一瞥して、シーツを縫い合わせたような簡単な服をかぶせられる。私は蛙にされるがままに最期の時を待った。
「何をしているんです? 温かいものを温かいうちに食べないのは罪悪ですよ」
蛙は置いてあったスプーンを取り上げると、私の頭にコンとぶつけて正気をはかる。
私の前に暖かいスープが置かれてしばらくたったころに、やっと自分が生かされるための事をされているのだと気が付いた。
どうやら、私が今日殺されてしまうことはなさそうだ。
急かされるままにスープに手をつけたのを見て、蛙は満足そうに頷く。
スープがかさかさの喉を通っていく。
両親の、祖母の最後の食事はなんだっただろう、そう思ったら、鼻の奥がつんとしてきた。
家族を全部失った。
帰るところもない。
それなのに生き延びてしまった。
きっとみんな私のために死んだ。
今の今まで麻痺していた生き残った罪悪感と、生きる希望もないのに生かされている絶望がじわりと染み出してくる。
「おい、スーイがおかしいぞ。何か悪い薬でも塗ったのか?」
ナイが慌てた様子で蛙から私を引き剥がす。
「とんでもない。見てごらんなさい。どう見ても悪い事情で森に放たれたのでしょう。こんなに怪我もして、獣にも襲われていたんでしょ? 痛かったし、怖かったし、苦しかったはずです。ご主人に名前まで付けられて、もう家族には一生会えないだろうし。こんなの、泣いて当然です」
ナイが心配そうに私を撫でる。
「そうか、それで泣いているのか」
ナイが私の頬を両手で挟み、上を向かせてのぞき込む。
目じりに盛り上がった涙の粒が膨れ上がって一筋頬を伝う。
ナイは、その涙を追いかけて頬に舌を這わせて舐めとる。
「それは、なんとも哀れだ」
ぎゅっと私を抱きしめ、すりすりと頭に頬をこすりつける。
「そうでしょうとも。名前まで付けたのだし、大事になさいませ」
蛙は心底どうでもいい顔をして給仕を続ける。
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