朝から真夜中

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「それしきのことでいいのか?」 「そう。それであなたが私に刻み込まれ始まるわ」  ナイは私をその黒い影の中に取り込むと、頬を寄せて鼻の先をぺろりと舐める。  違うわと言いかけて口を開くと、犬がするように口の中を舐められる。  目前には弓を向ける敵がいて、それなのにナイは舐めとるように私を陥落させていく。 「っあ、ちょっと……ん……」  束の間、唇が離れて、あまりの勢いに抗議の声をあげようとすると、今度は角度を変えて口づけが深められていく。  敵も驚いたのか、息を呑み焼け付くような視線でナイの蛮行を見守っている。  口付けってこんなに激しいものだっただろうか。 「愛をこめて、だろう?」  やっと解放されたころには酸欠で、くらくらしながらナイの胸の中に倒れ込む。 「……こんなのって……ないわ」 「まだ足りないか?」 「……もう十分よ」 「俺は少し足りない」  ナイは暗い炎をともしたような目で私の顎をつかんで、続きをしようと口を開け食らいつこうとする。  すると、ナイに向かって矢が飛んでくる。  ナイは鏃を見ながらゆっくりと避けた。 「愉快な見世物はそこまでだ。そこから先は俺たちが代わってやる。お前はその娘を置いてさっさと逃げるんだな。それとも、俺たちがこの娘を犯すところを見たいのか?」  ナイの気配が膨れ上がるのを感じる。  きっと盗賊たちがナイの邪魔をしたからだ。 「家の周りで血なまぐさいのは困る。お前たち、今から走って逃げるがいい。どれだけ遠くに逃げられるか競うがいいよ」  ナイは私を外套の袂に入れたまま、瞬く間に闇色の刃物を取り出して、敵の間を飛び、弓弦を切ってまわる。  抱かれた私の足は浮いたまま、くるくると踊っているような心地だ。  誰も何もできない。  ナイだけがこの場で自由にふるまっている。 「逃げないのか?」  賊の頭領が弓矢を投げ捨てて、腰から大ぶりのナイフを引き抜きぬかんとする。  それを嘲笑うかのようにナイはゆっくりと近づき、ナイフを持っている手を手首ごと切り落とす。  余りの切れ味に、骨を断った音もしない。  豚の油を熱した刃物で切り分けるほどのゆるやかさで、盗賊の刃物は握った手首ごと枯れ葉の上に落ちる。 「ひゃっ……ああっ、ちくしょう!」 「もう少し軽くしてやった方が速く走れるか?」  刃物を抜こうとしていた隣の男の指も落ちた。  ナイが何をしているのか分からないまま、別の場所からも悲鳴があがる。  一瞬にして一団は恐怖のどん底に落とされた。  一団は端の者から森の出口を探して逃げ出し始める。逃げ出した者からも体のどこかを落とされた悲鳴が聞こえる。 「まだやるのなら、次はどこを置いていく? 足がなくては逃げられまい? それとも、獣に生きたまま食われるのが好みか?」  盗賊はやっと自分が手を出してはならない魔物に相対していることに気がついた。 「うわっ、ば、化け物だ……」  恐怖にかられた盗賊が次々と姿を消す。  頭領らしき男も皆の後を追い、這々の体で逃げ出した。 「化け物か。魔物とどう違うのだ?」  ナイは、口寂しいのか、私の頭に口を付け、髪を食んでいる。  奴らが逃げ出して、武器と指や手首が草の上にパラパラと残された。  血の匂いをおって獣たちがすぐ後を追うだろう。  武器もなく、あれだけの血をばらまいて、無事に森の出口までたどり着けるとは思えない。 「すべて消してしまった方がよかったか? お前の仇だろう?」 「……そうだけど。ナイのやり方が爽快だったから、もう気が晴れたわ」  きっと私の目の前で全て消し去ることだってナイには出来た。  ナイはきっと私に醜いものは見せたくないのだろう。  ……大事にしているから。 「スーイ、口づけがまだ途中なのだが」  ナイは私の皮膚の柔らかいところ全てに唇を押し当てて続きを強請る。 「口づけだけじゃないのよ。石が欲しければ私を全て手に入れて」  緑なす黒髪の頭を掻き抱けば、ナイは捕食者の目で私を見る。 「石だけではなく全てをくれるのか?」 「命でも、何でも、あなたが愛をくれるなら」 「愛はよくわからんが。スーイは欲しい」 「それならきっとうまくいくわ」  嵐のような風が吹いた。
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