9.パパのため息

2/8

1265人が本棚に入れています
本棚に追加
/196ページ
 キャンプ用のナイロンブランケットを収納袋から取り出している岳人パパを見ていると寿々花は思う。あの女性は、こんな優しい夫に労られて、拓人をお腹の中で育んで頑張って産んだのだろうな――と。  妊婦という身体になって寿々花は初めて『拓人の実母』を思うことが多くなった。  そう思うと途轍もなく切なくなる。母性はあったはず。一時期はそんな彼女もいただろうと信じていて、『お腹を痛めた子と離れるだなんて彼女もどれだけ寂しいことか』と思いたかったが、いまの寿々花は否定する。  いや、違う。あの女性は『母性に酔っていた』だけかもしれない。お腹に子どもがいると、周囲がとても優しくなる。夫も、義両親も、実の両親も。友人も、職場の同僚に上官も。そうでない環境に置かれる場合もあるだろうが、大抵は人々は妊婦を労ってくれる。もし彼女が拓人のことをこれっぽっちも思い出さないいまを過ごしているのなら、彼女の妊娠は出産は、『優しくしてもらえるしあわせなヒロイン』として格好のシチュエーションだったはずだ。拓人という存在に頼り切った、素敵な私のための環境だ。だからその時はみんなが丸く収まりしあわせだったはず。その影で『孤独』を選んだ男を踏み台にして。  拓人の親権を譲り渡してから、鳴沢の母から『拓人は元気でやっていますか』とたまに連絡があっても、産みの親である彼女からはいっさいの連絡はない。鳴沢のお母さんからも『娘が拓人についてこう言ったああ言った』という情報も出てこない。  それを知っているから寿々花は彼女をそう断罪する。『母性はなかったのだ』、彼女には。
/196ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1265人が本棚に入れています
本棚に追加