8.ワンコは忘れない

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8.ワンコは忘れない

 もう彼に顔向けができない。  きっと寿々花が好意を寄せていることをわかっているだろうし、『心配無用』ということは、もう関わらないで欲しいという意味で突っぱねられたのだ。  つまり、恋をしたと自覚した瞬間、ふられたのだ。  元々、恋愛には疎かった。否、チャンスがあるようでなかっただけなのだが、それほどに心を捕らわれた男性もいなかった。  やっと湧き上がった恋心が、まさかの、女子が憧れる王子様みたいな存在。かえってありきたりすぎて、恋に疎い寿々花があっという間に心をさらわれたのも、経験が少ないからかもしれなかった。  そう思えば。『誰もが通る道を通って洗礼が終わった』――とも思えた。  大人になろう。今更だけれど、大人になろう。  土まみれの訓練とか、身体をいっぱいに動かして健康的に職務に励んで、音楽に彩られる毎日。いつか恋ができればいいかな~。でももうすぐ三十歳も目の前、そろそろ動いたほうがいいのかな~。めんどくさいな。と思っていたら、今回の衝撃……。  二十七歳になって情けないけれど、寿々花ももう館野一尉に会えそうにない。  彼が大人すぎた。冷たくて近寄りがたい意味もわかった。  自分が子供すぎて恥ずかしい。  だからもうヨキのお散歩、行きたくないな。  あの日の夜、母にそう言おうと心を決めたのだが、母から思わぬことを言いだした。 「あ、寿々花。もう雪も溶けたし、お母さんの足もだいぶ良くなったから、朝の散歩はお母さんが行くね」  すごいタイミングの良さに寿々花が呆気にとられたが、渡りに船の気持ちだった。  翌朝から、母が朝食前にヨキを散歩に連れて行くようになった。  そのかわりに、寿々花と父が朝食の準備をすることになる。
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