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ナス女、の巻
西友のエスカレーターを、食品売り場に向かって下って行きながら考えることは、毎回毎回、決まって同じことだ。
……今日もまた、襲われるのか。
……たまには、違うことを考えてみたい。でも、できないのだ。
こういうのって、なんて表現したら、いいんだろうか。
被害者意識?
確かに、そうだ。
不安神経症? そうかもしれない。
でも、結局言葉はなんだっていい。
そのすべてと、いま私の抱えている感覚は、だいぶ異なってる。そんな気がする。
エスカレーターを降りきり、地下階にたどり着くと、これも決まって、考えはじめることがあった。
その日の夕飯の献立は何にしようか、と。
そのとき、また違う不安材料が、突如として現れるのだ。
……また今日もーー「ゴボウ」を食べなきゃなんないのか。
いかな根っからの野菜好きで、野菜を食べないと生きていけないような私でもーーこう毎日毎日ゴボウばかり食べてると、正直ウンザリしてくるのだ。
いかな料理好きの私でも、そうそうゴボウを使ったレシピも考えつかない。
私は大きくため息をつきつつ、でもその足は、半ば強制的に、お野菜コーナーへと向かっていくのだった。
そもそもなぜ、こんな事態になってしまったのかと言えば、仕事が終わって渋谷から三軒茶屋に帰りつき、西友でその日の買いものをすると、必ずゴボウを買わざるを得ないからだ。
ゴボウを持たずに、あの恐ろしい家までの帰り道を行くなんて、おおよそ考えられなかった。
確かに、あの日の山芋女との一件いらいーー彼女たちとはいまのところ、一度も遭遇していない。
でも、遭遇していないからって、今後も必ずしない、とは限らない。
……だったら、毎朝ゴボウを持って出勤すればいいんじゃないか、って?
確かにまあそうなんだけど、それなりに自分の納得いくサイズのゴボウだと、意外に場所をとるし、勤務先も渋谷の高層複合ビルで、そのオフィスにゴボウをカバンに差したまま、おはようございまーす、なんて元気に入っていくのも、なかなかにハードルが高いのだ。
そんなわけで、毎晩ここ西友で、仕事帰りにゴボウを買わなきゃいけない、っていうハメになる。
先日、買い物の途中に、青果担当の男の人をつかまえて聞いたら、新ゴボウや葉ゴボウ以外の、いわゆるよく見かけるあの長いゴボウは、旬は一応冬だけど、貯蔵がきくので、一年中流通していますよ、とのことらしい。
これで一応、売り切れでもない限り、ゴボウが手に入らない、という恐るべき事態は、回避された。
ついでにそのとき、ゴボウの選び方のポイントも聞いた。まずはしっかり泥のついたものを選ぶこと。その方が、鮮度や風味を保ちやすい。
そして手にしたときに軽いものは、古くてスが入っている可能性があるので避ける。
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