ナス女、の巻

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 今日もまた、その教えを忠実に守って私は、一本の青森県産のゴボウを購入した。  本日のメインディッシュは、冷蔵庫に古い卵が残ってるので、豚肉とたまねぎとゴボウの柳川風、にした。それとゴボウのおみそ汁と、作り置きしてあるゴボウサラダ。さらにだめ押し的に、ゴボウの煮びたし、だ。  ……これでもまだまだ、全然在庫を消化しきれない。  心からうんざりしつつ、私は他にいるものをカゴの中に追加してから、レジに向かった。今日も例外なく、一本のゴボウが入っているのを見ると、顔なじみのパートのおばさんが、 「今日もゴボウ? 本当に好きなのねえ」  って、レジに商品を通しながら、声をかけてきた。  私は、苦笑いを返すしかなかった。 「でも、ゴボウは食物繊維がたっぷりだし、おかげでおなかの調子もいいんじゃない?」 「……ヘミセルロース、ですか」 「えっ?」 「あとイヌリンは、血糖の上昇を防いで、糖尿病予防に効果的らしいです。それとリグニンは、腸内の有害物質を排出して、がんの予防に有効です」 「……へっ、へ〜え……じゃあうちも、今日はゴボウにしようかなあ……」  私は力なく微笑みを返すと、サッカー台の上でエコバッグに商品を詰め込み、いつものようにゴボウを袋から抜き出すと、泥つきのまんま、黒革トートにブスッと差し込んだ。  毎度毎度、判を押したようにそうして去ってゆく自分を、おばさんは眉をひそめるようにして、ジッと目で追っていた。  外に出ると、ムッとした大気が、全身を包み込んだ。きれいに梅雨も明けた、夏まっさかりの東京は、連日すさまじいような猛暑。日が落ちたところでその熱気がやわらぐこともなく、その中を歩き出したとたん、すぐに全身に、じんわりと汗をかいてしまう。  私はこれも例によって、ゴボウのささったトートを肩にかけ直すと、緊張しながら足早に家に向かっていった。  華やかな茶沢通りから、いつもの裏路地に、入ってゆく。  このときの恐怖をごまかすためにーーこれまでさまざまなことを、私は試してきた。  例えばイヤホンをつけて、なるべく陽気な音楽を聴く。  アップルミュージックで適当に検索して、例えば志村けんとかが昔やってたらしい、ドリフターズ、とかっていうバンドの曲を流したりする。  でもこれは、まったく逆効果だった。  聞こえてくる音楽は確かに楽しげだけど、そのかわり周囲の音が遮断されるので、もし背後から突然襲われたとしても、気づくことができない。  そのことが、余計にこの恐怖を倍加させる。  一番効果的だったのは、電話で真美と話しながら帰ることだった。これなら、もう片方の耳で、周囲の様子を気にすることもできる。  でも正直、毎日毎晩そうすることは、ちょっと気が引けた。  ただでさえ、自分の身ぐらい自分で守れ、と叱咤(しった)されたばかりなのだから。  口では気にするな、と言ってくれるけど、自分自身、それもどうかな、と思わざるを得ない。  そんなわけで、結局トイレを我慢しつつの早足、みたいな感じで、ひと息に家までの道を駆け抜ける、ってことになった。  近隣の家から呑気なテレビの中の爆笑の声、みたいなのが聞こえてくると、心底呪わしいような、そんな気分になってくる。自分はいったい、一人で何をやってるんだろう、って、思えてくるのだ。
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