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実は先日、あの山芋女との一件のあとーー私は三軒茶屋駅の近くの交番に行ったのだった。
まずは事情を聞かれ、初めはネギを持った女に襲われ、その後山芋を持った女に突然襲われたのだ、と訥々と話す私をーーそのおまわりさんは多少ならず、信じがたい、というような、ちょっと「アレ」な人を見るような、そんな疑わしい顔でじっと眺めていた。
でもそんなのは、この私だってそうなのだ。こんなことを切々と話す私はーー当然ちょっと「アレ」な人なんじゃないか。
案の定、というのか、警察に被害届を出しても、その後も何も得るところはなかった。その付近のパトロールを強化しましょう、とは言ってくれたけど、そんな様子は見たところ微塵もない。
以前と変わらない、暗くて狭く、人気のない太子堂の路地である。
そのとき、一瞬私はハッとして、後ろを振り返った。
でも、そこには誰もいなかった。
その場に立ち止まったまま、肩を落とす。
こんなことを続けていたら、いつかきっと本当に、頭がおかしくなってしまうだろう。
ようやく無事に、家までたどり着くと、まずはしっかりと鍵をかけた。そしてむき出しのゴボウを新聞紙で包んで、クローゼットの中のわざわざ無印良品で買った専用バスケットの中に、縦置きにしてしまった。
冷蔵庫の中から「ほろよい」のもも味を取り出すと、体を投げだすようにしてソファに腰をおろし、プルトップを開けて一口飲んだ。
全身を脱力して、大きな大きなため息をつくとーー黙って天井を見上げた。
■
ゆっくりとお風呂に浸かり、ゴボウづくしの夕飯を作って食べたあと、スマホでXのアプリを開いて、ネギ女、それと山芋女の情報がのってないか、チェックしてみた。
でもあの日以来ーー何一つとして見当たらない。
これはいったい、どういうことなんだろう。
三軒茶屋の都市伝説は、いったいどうなってしまったのか。
どうにも納得がいかなかった。
まず、これでは真の心の平安が得られたとは、とても言えない、と思う。
いまは現れないけど、明日、あるいは明後日には現れるかもしれない、という不安が、常につきまとう。
さらに私は、ネギ女のときにせよ、山芋女のときにせよーー怒って反撃はしたものの、最後には相手から、命からがら逃げ出して終わっていた。
要は、向こうにいいようにもてあそばれて、終わっているのだ。
このことが、とても悔しい。
このままもし、あの人たちが姿を消してしまったならーーなんとも言えない「残念」な気分が残ってしまう。
つまり、私はあの人たちと同じ、一人の「残念」な女としてーー今後も生きていかねばならないような、そんな気がするのだ。
そう考えるだけで、少し「ゾッ」とした。
非常に矛盾しているけれど、私は家までの帰り道を、毎日恐怖におびえながら歩いているが、それと同じくらいの恐怖を、あの人たちに永遠に仕返しできないかもしれない、ということに、感じているのだ。
だったら、いったいどうしたらいいのだろうか。
……いや、少し落ち着かなきゃ。
そう私は思った。
ソファに寝転がっていた体を起こすと、ミネラルウォーターの入ったボトルを手にとって、一口飲んだ。
「……」
そもそも、冷静になって考えてみれば、これはむしろ、普通に喜ぶべきこと、なんじゃないだろうか。
ただ素直にーーこの事態を受け取ればいいんじゃないだろうか。
とりあえず、なぜだかは知らないけど、私はあの人たちに三軒茶屋の夜の路上で二度襲われたが、それももうなくなった。
あの人たちはもう、私の前からはいなくなった。
少なくとも、SNS上には、あの人たちの痕跡はない。
つまり、彼女たちはもう、存在しないに等しい。
……だったら、あの暗い夜道を今後はもう金輪際、ビクビクせずに帰ることができるようになった、ってことなのかもしれない。
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