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私は口元をトイレットペーパーを巻き出して拭いながら、繰り返し思った。
……何かが、非常にマズい。
これはいったい、どういうことなのか。
あの女の子は、何者なのか。
ていうかなぜ、私とゴボウのことを、知っているのか?
……えっ。
てことは、もしかしたら……。
そのとき、カバンの中のスマホがまたラインを着信した。
なんとなく予想していたとおり、それは真美からだった。
【あのオタクといい感じじゃん】
そうあった。
何も考えられずにいると、
【ライン交換しときなよ】
と続けてきた。
今夜はこのあと二次会があるかどうかは、ミキちゃんからまだ何も聞いていなかった。たださっき、彼女がいるテーブルの方から、代官山にいいバーがあって、的な会話が聞こえていたから、もしかしたらこれからそこに流れるのかもしれない。
【よかったじゃん。あの不動産屋からうまく乗り換えられそうで】
私は何も返信せずにスマホをカバンに押し込むと、便器で体を支えて立ち上がった。
いまにも吐きそうだったから、仕方なくトイレに来たけどーーここにいるままでは非常にマズい、そんな気がして仕方ない。
私は個室を出ると、洗面台に向かった。畳一畳ぶんくらいある鏡に映る自分から、ふと背後に視線を向けた、その瞬間だった。
黒い何かが、そこにひらめいたのが見えた。
ハッとした私が振り返ると、あの黒づくめの女の子がーー別の個室から突然飛び出して来て、恐ろしい、鬼のような形相で弓なりに後ろに反り返るような、そんな姿勢をとっていた。
息が止まりそうになるのと、その子が巨大な「ナス」を私に向かって叩きつけてくるのが、ほぼ同時になった。
キャッ、と叫んで身を引くと、そのナスが目の前の鏡に直撃し、バッリーン!! と砕けた。その衝撃で、ナスが綺麗に水を出しながら押しつぶされていくのが、私の目にスローモーションのようにハッキリと見えた。
床を這い転がるようにして、トイレの「奥」の方に逃げた。そしてすぐに後悔した。
これじゃあ、自分から進んで、追い詰められるようにしむけたのも同然じゃないか。
私は無意識のうちに、床や周囲の空間を、手で探っていた。
……ない。
ゴボウがない。
私の落としたコーチのカバンを思い切り、ひん曲がってしまうほど蹴り上げると、女は目の前に仁王立ちになった。
オーバーサイズのギャルソンのワンピースのおかげで、巨大な暗闇に立ち塞がれている、そんな気分になってくる。
生まれて初めて、私は一人の人間の見せる、そら恐ろしいまでの表情、というものを目の当たりにした、そんな気がした。
「忿怒」の顔、とでも形容するのが、一番ふさわしいかもしれない。
とにかく顔がしわくちゃになって、一心不乱にこの私を睨みつけていた。
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