1人が本棚に入れています
本棚に追加
……こっ、こっ、怖いっ。
そう感じた瞬間、女は手にした新しいナスを、もう一度叩きつけてきた。
さっきのあの破壊力を経験していた以上、それをもし顔面にでも受けたら、いったいどうなってしまうのだろう。
そんな考えは、私の姿勢を極端に低いものに自然に変えていた。それで闇雲に、まるでラグビーのタックルのように渾身の力で突っ込んでいったおかげで、自分の右肩を深く、相手のみぞおちに差し込んでやる形になり、そのまま全力で洗面台の方に押し切った。
ドォン、という音を立てて、女を割れた鏡の散らばるシンクに押しやると、グエッ、と声をあげた。そのスキに、自分のカバンを取り上げてトイレから逃げ出す。
店内へと続く暗い廊下を抜け、振り返ってみると驚いた。
すぐにその後を追ってきた、あのナス女の「忿怒」の表情はーー突然綺麗さっぱりと消え、以前のあのしおらしい、お人形のような白い顔に、元どおりになっていたのだ。
その豹変ぶりに、私はめまいを覚えるような衝撃を受けた。
とはいえ、いまさっきの噴出するような暴力を、記憶から抹消することなんてできない。
かつそれは、いまだしっかりと引き続いてる。
頭が混乱してしまって、これからどうしたらいいか、まったくわからなくなってしまった。
でも、あそこまで完璧にトイレを破壊してしまった以上ーー私にその責任はたぶんないとはいえーーこのまま何事もなかったかのように、ナス女と仲良く一緒に席に戻る、という選択肢は、もうありえないような気がした。すれ違う店員さんが、自分に向かって愛想よく会釈してくる中、私はすみませんすみません、と心の中で強く念じつつ、出口の方へと足を向けた。
当然のように、私の後を追ってくる、ナス女から背中に感じる「圧」がすごかった。これは間違いなく「二度目」がある。そう思えてならない。
そのとき、偶然人気のないカウンターの上に、ザルに乗せられた何かが目に入った。
見ると、綺麗に寝かせられ、三角形に積み上げられたゴボウだ。
……こういう状況をうまく言い表わす、古い日本語があるのを、国文学科出身の私は知っている。
「物怪の幸い」、と。
歩きながら、カバンの中から財布を取り出した。後ろのナス女は、運よく他の交差してくるお客のおかげで、一瞬足止めを食っている。
私は無造作に、財布の中からお札を全部取り出すと、カウンターの付近におき、すみませんっ、と念じて一番てっぺんに乗っているゴボウを、一本拝借した。
■
長さは多少物足りなかったものの、それを右斜めに振り上げた攻撃を、ナス女は後ろへ二、三歩下がりながら、すんでのところでかわした。
でも我ながら「会心の一撃」、と思えたその一振りはーーナス女の着ていたコムデギャルソンのフリルを、その風圧だけで切り裂いた。
まるで鬼婆のような形相で、ナス女はヘタのついた方を持ったナスを、私に向かってお返しのように振り下ろしてくる。
最初のコメントを投稿しよう!