エブリスタ薬局おくすり手帳

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○○さ~ん、○○さ~ん、いらっしゃいませんか~、○○さ~ん! ○○さ~ん、あ、○○さん、いらっしゃいましたか。何回もお呼びしましたよ。 お薬ができました。 今日の薬は三種類ですね。 ○○さんの病状に合わせた処方ですので、書いてある通りに飲んで下さい。 ・風邪薬を嫌がり飲まない息子を夫に任せてみたら、自分から飲むように。いったい何を言ったんだろう?  夫が息子に何と言ったのか、気になると言えば気になるけれど、それどころではないというのが本音だ。保育園からの急な呼び出しのせいで、大事な捜査会議に出られなかった。そのリカバリーに頭がいっぱいで、他のことなんか考えていられないのだ……と言いつつ、考え込んでしまう。この欠席は私のキャリアの汚点になるかもしれない。厚生労働省麻薬取締部と警察庁薬物取締局との合同会議において、厚労省側の代表として出席するという栄誉が、会議欠席のせいで逆にマイナスになってしまったのだ。  事は私だけの問題にとどまらない。子育て中の女性に重要なポストは与えられないと決めつけられたら、世の働く女性全員の不利益となる。どう考えても女は不利だ。子供の体調が悪くなったら、病院へ連れて行くのは女親ではなく保育園の人間か、あるいは委託を受けた業者でも可能とするよう、厚労省は指導するべきだろう。たかが風邪だ、付き添いなんか誰だっていいのだ!  夫が病院へ行かなかったことにも腹が立つ。私より稼いでいるからといって、面倒なことを押し付けるのは許せない。大した家事もしていないのに主夫気取りなのも鼻につく。莫大な資産を持つ個人投資家だから大目に見ているが、夫としての価値はない。独身時代に遊んだ男たちの方が、夫に相応しかった。  日本初の女性首相になるという夢さえ持っていなかったら、夫とは結婚しなかった。私は夫の資産を目当てに結婚したのだ。金だ、金! 選挙のための金が私には必要なのだ。  ここまで読んでいただければお分かりだろう。夫への愛情はない。そして、子供への愛情もない。私が子供を作ったのは、働く母親という肩書のためだ。それが選挙において好材料となると踏んだのだ。いうなれば息子は、私の人生の踏み台だ。  たかが踏み台に自分の人生を狂わされてはたまらない。私の崇高な人生を! ・新たな合成麻薬を生み出し、巨万の富を得た男。しかしその製造法と共に行方をくらまして――。  厚生労働省主任麻薬取締官の夫というのは、意外性があって面白い隠れ蓑だと自分でも思う。キャリア官僚でもある妻は自分の出世に頭がいっぱいだ。 こちらの素性に気付いていない。過去は完全に消した。婚活パーティーで知り合い交際し婚約するまでに、こっちの経歴は調べているだろうが、大金を支払って作った履歴に穴はない。絶対に大丈夫だ。  妻は私の金が目当てで結婚した。こっちは隠れ場所を求めて妻を選んだ。政治家になりたいという彼女の夢に協力する資産家の亭主そして、子育てに忙しい専業主夫、それが元麻薬王である僕の現在の姿だ。  彼女は僕を愛していないことは知っている。夫と子供という家族が、彼女のキャリア形成に必要だから、僕を選んだ。それだけのことだ。  だからって幻滅は感じない。人はそういうものだから。  そんな僕が自分の息子に愛情を抱いているかと言うと、イエスだ。  息子が大きくなったら、僕の事業を継いで欲しい。  そして新たな合成麻薬を生み出してもらいたいんだ。  世の中は最悪な場所だ。嘘や偽善がまかり通っている。  こんな地獄を天国に変えるものは麻薬しかない。麻薬だけが人を幸せにできる。僕は、そう信じている。そう思って、頑張ってきた。  だけど僕は失敗してしまった。僕の作った合成麻薬は、人を善人に変えてしまう。使うと性格の良い人、優しい人になってしまうんだ。世の悪と戦って勝つためには、世の中の悪以上の悪にならなければいけない。強大な悪の力で悪を滅ぼすのだ。  それに気付いたときには遅かった。僕自身が、合成麻薬精製過程に生じたガスを吸い込んで善人になってしまっていた。今じゃ、専業主婦の合間にボランティア活動をしている。困っている人を助けるために。  風邪薬を飲みたがらない息子には、こう言った。 「パパが作った美味しいお薬を後で飲ませるから、今は我慢して」  そう言ったら風邪薬を飲んでくれた。両親に似て、賢い子で良かった。  こういった取引を小さな子供とするのは良くないという意見はあるだろう。  でも、これは僕なりの愛情表現なんだ。許して欲しい。 ・頼めばどんな薬も作ってくれると噂の魔女。その対価は金や物ではないらしく……?  小さな男の子に化けた大魔王が噂の魔女の元を訪れた。調合されたばかりの薬を服用し、安堵の溜め息を吐く。 「薬の効き目が切れて大魔王の姿に戻るんじゃないかとハラハラした。なあ魔女よ、注文がある」 「なんざんしょ」 「薬をわざわざ飲みに来ないといけないというのは面倒臭すぎる。どうにかならないか? 薬の効き目を長持ちさせるとか、一度飲んだら自由自在に年齢や外見を変えられるとか」 「調合されてから時間が経つと効果がなくなりますんで。出来上がったらすぐに飲まないといけまへん。それに、今より機能性をアップさせると副作用が心配でっせ。強い薬は、それだけ副作用も強いんで」  大魔王は不満を述べた。 「頼めばどんな薬も作ってくれるんじゃないのか? 客の注文に応じろ」  魔女は面倒な客の頼みを拒んだ。大魔王は凄んだ。 「いい度胸だ。大魔王の頼みを聞けないというのだな」  カスハラ大魔王を睨み返して魔女は言った。 「文句があるなら来るな。二度と来るな」  大魔王は唸った。男の子に変身する薬は、ここでしか手に入らない。魔女の機嫌を損ねたら、大変なことになる。  実際、大魔王は大変な状況だった。大量の勇者パーティーが大魔王の命を狙っているのだ。大魔王を見かけたら一斉に殺しに来るだろう。無敵の大魔王も勇者パーティーの大軍を相手にしたら勝ち目は薄い。姿をくらましているのが正解なのだ。  大魔王は特殊技能「変身」を使って小さな赤ん坊となりコウノトリに運ばれて、ある夫婦の子供となった。それが上記の夫婦である。  天下の大魔王なのに逃げ隠れするのか……と呆れられる方がおられるかもしれないが、量産型の大魔王に多くを望んではいけない。魔法で何とかすればよかろうという意見はあるだろうが、これも似たり寄ったりの話となる。前述したように大魔王の特殊技能に「変身」というものがあり、色々な姿に変身できるが、これは勇者パーティーの特殊技術「見破りの術」で見破られる恐れがあった。見極められたら攻撃される。そして勝てるか分からないときている。リスクが高すぎた。  その点、噂の魔女の作る変身薬は見破られる危険がゼロという優れものだった。多少面倒でも、店へ来るだけの価値があるのだ。  問題は、薬の対価である。  薬の対価として大魔王は、彼の両親の魂を魔女へ与える契約を結んだ。  母親は自分のキャリアにしか興味のないエゴイスト、父親は麻薬王だ。その汚れた魂に利用価値があるとしたら、これがいいとこだろう。  男の子の姿をした大魔王は魔女の店を出た。保育園の押し入れの奥の闇に通じるトンネルをくぐり、お昼寝中の仲間たちの元へ戻っていった。  ○○さん、いらっしゃい、どうしましたか?  え、あの薬を飲んだら変な夢を見た?  凄くつまらない夢だった?  そう言われましても……薬の副作用ではないと思いますけど。  おそらく、妄想です。それは○○さんの妄想ですよ。  安心して下さい。  あ、くれぐれも間違った量を飲まないようお願いします。  薬は様々な病気やケガを治してくれますが、毒と薬は紙一重とも言いますからね。用法用量を守らないと、取り返しがつかなくなるかもしれませんよ?  それを忘れないで下さいね――それでは、お大事に。
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