第10話

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第10話

「夜回りだけどさ、本当にお前は無理しなくていいからな。任務も控えてるんだしさ」 「うーん、どうしようかな。決心点、あと三十分待ってくれる?」  結局ハイファは一緒に行くと言い張り、ホルスタ付きショルダーバンドを装着して執銃し、ソフトスーツのジャケットを着た。シドもヒップホルスタを着けて大腿部のバンドを締め、ダートレスから回収した対衝撃ジャケットを羽織る。  玄関で靴を履くとソフトキスを交わした。 「本当に無理するな、何かあれば早めに言うんだぞ」 「分かってるって。ごめんね、心配させて」 「いや、俺こそマジで悪かった」  己の行為が全ての原因だと承知しているので、シドはハイファの白さを越えて透けるような肌色が気になって堪らない。ハイファはハイファでイヴェントストライカを独りにして堪るかと思っていた。何処からともなく現れた三毛猫に声を掛ける。 「タマ、番猫頼むぞ」  気まぐれな三毛猫はぷいと二人を無視して独り掛けソファに飛び乗った。二人は溜息をついて再びソフトキス。シドがハイファの細い腰を支えて玄関を出る。リモータでロックしていると隣室のドアが開いて住人がのっそりと顔を出した。自室にいたのに白衣を着ている。 「あ、マルチェロ先生、こんばんは」 「おう、シドにハイファス。こんな時間に買い物か?」 「いや、ちょっと夜回りだが、マルチェロ先生こそ買い物かよ?」 「煙草が切れたのと、おやつのエサのキャベツを少しな」  ボサボサの茶髪に剃り残しのヒゲが目立つこの中年男の名はマルチェロ=オルフィーノ、おやつの養殖イモムシとカタツムリ(生食)をこよなく愛する変人で独身、職業は何とテラ連邦軍中央情報局第二部別室の専属医務官で、階級は三等陸佐だ。  二人にとっては頼りになる好人物で、留守にする際にはタマを預かってくれる奇特な御仁だが、病的サドという一面も持ち、軍に於いては拷問専門官として恐れられているらしい。事実、やり過ぎにより様々な星系でペルソナ・ノン・グラータとされている人物だった。  じゃれてシドはマルチェロ医師に右ストレートを繰り出す。だがこぶしは医師の頬を捉えず寸止め、その手首の腱には銀色に輝くメスが突き付けられていた。皮膚まで五ミリという距離である。互いに笑ってこぶしを引っ込め、医師は白衣の袖口にメスをスルリと仕舞った。 「じゃあ、先生は地下だな」 「一階までご一緒させて貰いましょうかね」  エレベーターまでともに歩く間、シドはハイファの腰をずっと支えていたが、医師は気付いているだろうに慎ましやかにノーコメントだった。一階で手を振って別れる。 「寒い中、お勤めご苦労さんですねえ。風邪引くなよ」 「ラジャー。先生もね」  二人きりになるとゆっくりロビーを縦断し、防弾樹脂製のエントランスを抜けた。 「うわあ、寒いね。珍しい、(ルナ)があんなに綺麗に見えるよ」 「星は一個も見えねぇけどな」 「仕方ないよ、本星セントラルエリアだよ、光害で星なんか消されちゃう」  超高層ビル群の窓明かりとスカイチューブに鈴なりに灯った航空灯が、まるでクリスマスイルミネーションの如き騒々しさで都市を彩っている。  だがいつもなら光を孕んでボウッと熱がこもったように滲む夜空も、清冽なまでに冷たい空気で今日は澄んで見えた。お蔭でハイファの言う通り、青白い半月がクリアに自己主張している。 「さて、行くか」  寒風に黒髪を乱し、金のしっぽを巻き上げられながら、押されるように左方向へと歩き始めた。通常の大人が歩く速度は一時間に約四キロと云うが、日々歩いて鍛えられた二人の歩調はそれよりも速い。ハイファは本調子ではなかったが、腰に感じるシドの温かい手に勇気づけられて、無理することなく距離を稼ぐ。  十分ほどで七分署の前を通り過ぎ、暫く行くと辺りは官庁街からショッピング街になった。昼間は大勢の買い物客で賑わう場所だ。だがこの時間はどの店舗もクローズして、通行人はごく少ない。右側の大通りを僅かに浮いて走るコイルのヘッドライトもまばらだった。  官舎を出て五十分も歩くと、ショッピング街でもアパレル関係の店舗ばかりが並ぶ地区に入る。妙齢のご婦人方御用達の店舗の間、ごく狭い小径に足を踏み入れた。小径を抜ければ裏通りだが、この時間は裏通りと思えないくらい人で溢れている。  ここは夜になって活気づく歓楽街だった。二人は右へと歩き出す。  バーやクラブにスナック、ゲームセンターに合法ドラッグ店などが軒を連ね、電子看板も眩い中を人々はうっかりすると肩が触れ合う距離感でそぞろ歩いていた。 「それでも他星系みたいに、カジノや売春宿が建ち並んでる訳じゃねぇんだよな」 「太陽系星系政府はテラ連邦議会と表裏一体だもん。テラの忠実な娘として違法なモノは一切ない、ここは星系政府の用意したクリーンな場所だよ」  呼び込みも殆ど見当たらない、上品ではあるが取り澄ましている感も否めない、それがこの歓楽街だというのをシドも別室任務で他星系に行ってみて、初めて知ったのである。 「それでもここはここで、みんなを愉しませてはいるんだよな」 「楽園の方舟の、更なる楽園ってとこかもね」 「じゃあまずはいつも通り、クラブ・ユニコーンから行くぞ」  クラブ・ユニコーンに入るとマネージャーに合図しておいて、レジの裏で少々待った。十分ほどでマネージャーがやってきてシドとハイファに白い歯を見せる。 「寒い中、ご苦労様ですね」 「あんたもな。盛況みたいで結構だ。ところで最近変わったことはねぇか?」 「そうですね、クスリをキメたまま流れてくる客がちらほらと――」  どうやらそれは合法モノではないらしく、何度かは店の従業員で取り押さえる騒ぎだったとマネージャーは話した。他には某テラ連邦議会議員が酔っ払ってストリップショーを始め、皆があまりの粗末さに驚いた話などして笑い、マネージャーに礼を言って店を出る。  次は斜向かいの合法ドラッグ店に足を運んだ。するとここでも違法ドラッグの話題が出る。客を競るという意味でも、こちらは更に憂い顔だった。  それからもバーやゲーセンなどを巡り、青少年五人組同士の喧嘩を実力行使で仲裁して、二人はしなやかな足取りで人波を縫い進む。途中で足を止めたハイファが訊いた。 「ねえ、居酒屋『穂足』には寄らなくていいの?」 「何で俺が妖怪野郎と一緒に飲まなきゃならねぇんだよ、真っ平ごめんだぜ」 「貴方と室長って、すごく息も話も合ってるように見えるんだけど」 「誰があんなオッサンと! できることなら一生会いたくねぇよ」 「そっかあ。室長はあんなにシドのことを気に入ってるのに、報われないなあ」 「耳が腐って落ちるようなこと、言うんじゃねぇよ。次行くぞ」  居酒屋『穂足』前を通過して二人はぐいぐい歩き、盛り場から少し外れた場所に建つ一軒の薬屋の前で立ち止まる。それは小ぢんまりとした店構えでドラッグストアなどといったものではなく、AD世紀の昔から取り残されたような薬局だった。  店の前には背の高い青銅のポストが立っていて、これは滅多に見られない珍品である。今どき手紙を出す者ははいない。新聞も毎時電子的に配信される。リアル・ニューズペーパーもないではないが、コストが掛かって非常に高いのだ。  そのポストを脇に見て、薬局のオートではない磨りガラスの嵌ったドアをシドが開ける。内側上部にあるベルがチャリンと涼やかな音を立てた。 「邪魔するぜ」  薬のショーケースと壁の間に座り、ホロTVでスポーツ観戦していたオヤジが顔を上げる。 「おやまあ、シドの旦那に美人さん。久しぶりじゃありませんか」 「俺を捕まえて旦那はやめろって言ってるだろ」 「いいじゃありませんか、旦那。ところで今日はロニアの違法モノですね?」 「そこんとこ、どうなってやがるんだ?」  白衣のオヤジは身を乗り出し、誰かに聞かれるのを恐れるように声を潜めた。 「毎週水曜と土曜にグレイのスーツの売人と、黒ジャンパーのしきてんが立ってますよ」  しきてんとは違法な取引現場で当局の人間がいないか、見張る役目の者のことを云う。  思わぬ情報を得たが違法薬物はシドの管轄ではなく、厚生局の麻薬取締官の範疇だ。この業界で管轄破りは御法度、まずは頭に留め置いて、ふいに思い出し口にしてみる。 「最近『エレボス騎士団』なんて名を聞かねぇか?」 「ああ、例の荒稼ぎしてる誘拐団ですね」  いつもシドとオヤジの話を聞きながら、ショーケースのとんでもない値がついた漢方薬のパッケージを眺めているのが常のハイファも、顔を上げてチラリとオヤジを見た。 「ロニアマフィアのシノギとは関係ねぇのか?」 「あたしも詳しくは存じませんがね、今回ロニアの臭いはしませんねえ。大体、奴らは元々フェイダル星系でPSCとかいう会社をやってたって噂でして」 「PSC、プライベート・セキュリティ・カンパニー、元の呼び名がPMC、プライベート・ミリタリ・カンパニーで傭兵貸し出し会社か?」  訊いてみたがオヤジは白衣の肩を竦めただけである。
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